9月12日は「とっとり県民の日」です。明治14年(1881)に鳥取県が島根県から分離独立し、「再置」された日を記念して、平成10年6月に制定されました。公立施設の無料開放や入場券の割引のほか、さまざまな関連イベントが県内各地で行われます(参画協働課のページ参照)。
制定20年の節目に「県民の日」がどのように成立したかを振り返ってみます。
きっかけは県議会での提案
県民の日の設置に関する議論は、県議会から始まりました。平成4年6月定例鳥取県議会の代表質問で足立利喜雄議員は、西尾邑次知事がすすめる全県公園化構想に関して、次のように述べます。
この全県公園化構想を進めるに当たっては、去る三月に策定された構想の基本方針でも取り上げられているように、全県公園化に対する県民運動など、県民への意識啓発がぜひとも不可欠なのであります。そこで、私は全県公園化に対する県民の関心を喚起するとともに、世界に向かって鳥取県人と誇りを持って言えるような県土づくりのために、そして、県民の主体的な取り組みを促進するために、県民の日を設定し、当日、またはその前後の期間に、各種イベントを全県的に、そして集中的に実施してはどうかと考えるのでありますが、知事の御所見をお伺いいたします。
全県公園化構想は、第6次鳥取県総合開発計画(平成3年~7年)に盛り込まれた重点施策として平成3年度に策定され、「県民みんなの力で、豊かな自然の保全及び美しい景観の形成を図るとともに、その中で感性豊かに生き生きと活動する、楽しさがあふれる魅力的な空間を創出すること(=「全県の公園化」)」を基本目標に掲げて、景観形成、緑化、地域づくりを推進するとともに、拠点的施設(氷ノ山自然ふれあいの里、こどもの国再整備、中国庭園、フラワーパーク)の整備やイベントを行うものでした。
これに対して知事は「一つの考え方として、こういった日を設けるということは意義がある」と趣旨に賛同。市町村や関係団体の意見もふまえて方策を検討すると述べます。そして、全県公園化構想を発展させた「公園都市」鳥取県を標榜する第7次鳥取県総合計画(平成8年策定)には、とっとりの誇り創造・発信プロジェクトの一環として、再置120周年にあたる2001年に記念イベントを開催し、併せて「県民の日」を定めることが明記されました。
この時点では再置の日を県民の日とすることは決まっていませんが、鳥取県の出発点として明治14年9月12日が大きな節目として意識されていたことがうかがえます。それは、100年目にあたる昭和56年(1981)9月12日に「鳥取県政百年記念式典」が盛大に挙行されたことにも明らかでした。
県民ぐるみの検討の開始
平成9年(1997)7月~9月に行われた山陰・夢みなと博覧会は、県人口の3倍にあたる192万人を動員する成功をおさめました。直後に行われた県議会では「夢みなと博覧会が成功し、県民意識が盛り上がっているときに、県民の日として月日でも決定してはどうか」との発言があり、西尾知事は「県民の日制定のための委員会を設け、来年度早々に決定したい」と応じ、制定に向けての作業が本格化します。
平成9年12月に県が行った県政モニターアンケート(100名中83名回答)では、9月12日(再置の日)が36.1%で、7月14日(明治4年廃藩置県:25.3%)を上回ります。しかし、平成10年2月に行った県民アンケート(2150名中1684名回答)では、7月14日(33.3%)が9月12日(26.5%)を上回るという逆の結果がでました。県では、県民の日(仮称)についての座談会を県内5カ所で開催し、制定の意義を説きながら、どの日にするのがふさわしいか、県民の日に何をすべきかなど意見を聞きました。
県民の日(仮称)制定検討委員会の議論
こうした県民のさまざまな意見は、有識者による「県民の日」(仮称)制定検討委員会に報告され、期日については9月12日と7月14日に議論が集中しました。
・廃藩置県は全国一斉であり、全国的に同じ日である。
他県と異なる再置の日(9 月12日)にしてはどうか。
この日は、県民の意思により政府 の政策が変更された日であり、意味がある。
西部や中部に反対運動が あったことも事実であるが、それも県民の意思だ。
・再置のエネルギーというのは凄い。例えば、奈良県などは再置に7年かかって
おり、わずか一週間で決まった鳥取の歴史的意味合いは大切である。
・現在の鳥取県のエリアが確定された9月12日が望ましい。
・県はずっと存在していると思っていたが、廃止されたり色々な事もある。
再置された日にロマンを感じるかどうか。
・東部中心の再置運動であり西部は反対だったが、問題を指摘しつつ因伯が一緒に
やっていくと考えれば、再置の日も良いのではないか。県政百周年事業等の起点
にもなっている。
・イベントを行うことを考えれば、気候的にも9月12日が良い。
・再置の日は一度無くなったというイメージで良くない。
・再置には反対が多くあった。
「鳥取」の名称が初めて使われた7月14日が無難だ。
・7月14日は旧暦であり、新暦(8月29日)に直して考えてみてもいいのでは
ないか。
このように、9月12日を推す意見が大勢を占める一方で、いったん廃止されたことのマイナスイメージや、西部における再置反対の動きを考慮にいれるべきとの意見もありました。そうした動きも含めて再置のエネルギーと、現在の鳥取県域が確定した日であることで委員会は意見の一致をみて、9月12日が県民の日にふさわしいとの提言書が知事に提出されました。
検討の過程では、11月2日(明治4年(1871)、飛び地であった播磨三郡が姫路県に編入され、因伯両国だけの鳥取県が成立した日)、11月27日(明治4年県治条例により藩知事にかわり県令が置かれた日)のように県の成立過程に関わる期日のほか、10月20日(昭和60年(1985)わかとり国体(秋季)が開催された日)、7月12日(平成9年(1997)山陰・夢みなと博覧会が開幕した日)なども候補にのぼりました。
提言書はまた、名称について「より語感が馴染みやすく、覚えやすい名称」として「とっとり県民の日」とすること、あらゆる機会をとらえて普及・広報を行い、県の保有する文化・観光施設等の無料開放をすること、制定の趣旨に沿った各種行事を実施することを提案し、そうしたことが61万県民の意思として決定されるべきだとして、県議会に諮り条例として制定されるべきであると結んでいます。(平成10年5月12日「県民の日(仮称)制定に関する提言書」)
おわりに
平成10年6月に制定された「とっとり県民の日条例」(平成10年6月26日鳥取県条例第13号)は、第1条で「県民が、ふるさとについての理解と関心を深めるとともに、ふるさとを愛する心を育て、もって自信と誇りの持てる鳥取県を力を合わせて築き上げることを期する日として、とっとり県民の日を設ける」と定めています。県民の日の制定過程は、鳥取県の成り立ちを巡る人々のさまざまな思いが交錯しながらも、再置の日9月12日が共有され、条例化というプロセスを経て築かれたものといえるでしょう。
本年8月28日から9月21日まで鳥取県庁本庁1階ロビーでは、県民の日を所管する参画協働課と公文書館による特別企画展「鳥取県の誕生とその魅力」を開催中です。この展示では、第1展示として「鳥取県の魅力紹介」を、第2展示の「鳥取県のあゆみ」では「藩から県へ」「島根県時代の鳥取」「鳥取県の再置とその後の県政」「地域再編の動きと港湾修築」の4つのテーマに分けて、明治14年9月12日の意義をパネルと貴重な資料で紹介しています。皆様のご来場をお待ちしています。
参考資料
「県民の日」(平成10年度、公園都市政策課、000290500731)鳥取県立公文書館蔵
「平成4年6月鳥取県議会会議録」鳥取県立公文書館蔵
『「公園都市」鳥取県 第7次鳥取県総合計画』平成8年、鳥取県、鳥取県立公文書館蔵
写真1 県庁ロビーの展示「鳥取県の誕生とその魅力」
写真2 鳥取県再置ノ件 罫紙・複製 明治14(1881)年「公文録(太政官九月第一)」(国立公文書館蔵)所収
(西村芳将)
2日
林業資料調査(智頭町、樫村)。
3日
資料調査・撮影(公文書館会議室、岡村・坂本委員)。
4日
わらべ館資料収集委員会(わらべ館、西村)。
6日
資料返却(境港市上道神社・岡村)。
7日
資料調査(公文書館閲覧室、西村)。
9日
平成30年度第1回民俗部会(公文書館会議室)。
10日
民具資料に関する協議(北栄町みらい伝承館、樫村)。
11日
資料現状確認及び大山ケーブルテレビへの取材協力(大山町鈑戸、樫村)。
『名刀「古伯耆物」日本刀顕彰連合』鳥取県担当者会議(西部総合事務所、岡村)。
13日
資料X線撮影(鳥取県立埋蔵文化財センター秋里分室、東方)。
14日
占領期の鳥取を学ぶ会(鳥取市歴史博物館、西村)。
15日
23日
資料借用(大山町、東方)。
24日
青銅器調査にかかる打合せ(公文書館会議室、岡村、東方)。
25日
資料借用(津ノ井小学校、東方)。
資料返却(鳥取市用瀬郷土資料館、東方)。
27日
出前講座(鳥取市、岡村)。
31日
地域歴史資料所在調査(大雲院、岡村)。
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