先鋒の「手」という題では、どちらも特別な時間を詠っていると思いました。
「豊立」の歌は、手のひらに刺さった芯がいつか心臓に届くまでの遠く長い時間を想像して、それを特別なものにしようとしているところが面白いですね。一方、「アップルシナモン」の歌は、夕焼けの場面ですね。夕焼けというのは誰にでも同じに存在するものなんだけれど、自分にとっては、彼あるいは彼女との大事な夕焼として心の中に閉じ込めようとしています。長かろうが短かろうが、その時間は自分にとって特別なものであるはずだと、どちらの歌からも感じました。
次、中堅の「高」です。「高」というと私はプラスイメージがあったのですが、それぞれ連想したのが「高慢」だったり、「高くて黒い尖った」が質疑応答では高圧的という言葉から連想したと言われたのに少し驚きました。
「豊立」の歌は、「高」の題を「高慢」という言葉に直接的に使っていて、そしてそれが扇風機のことだというのがすごく面白い。自分の抱く感情を人に対して向けるんではなくて、身近なものに向けるよう変換している、その心持ちがいいと思います。
「アップルシナモン」の歌では、「高くて黒い尖った塔」の「高い」は、少し手の届かないという感じなのかなと思っていました。すると質疑の中で「高圧的」という言葉が出てきました。若い時の、大人に対して抱くネガティブな気持ちをうまく表しており、大人が読むと立ちすくんでしまうような表現で、心に残る歌でした。
大将の題は「送」です。「豊立」の歌の「送り火」は京都のお盆行事の送り火のことと読んでいましたが、自分の家の軒先や庭で死者を送る方の送り火だというので場面を再度構築しながら読み直しました。死者を送る寂しい場面なのだけれど、あまり切迫感がなくて、どちらかというと誰かの死の後の長い時間みたいなものも感じました。死というものが皆さんにとってまだ遠いからなのかもしれませんが、「歯磨き」という言葉と併せて歌われているところが若々しいなと感じました。
「アップルシナモン」の歌は、「指先で紡ぐ会話の端っこを」という表現がすごく好きです。メールやLINEで言葉を送っていると、しゃべって伝えるより、何度も読み返せるぶん、後に残る気持ちがどこか複雑に長引くようなところがたしかにあります。そういうところを表出しているのかなと思いました。
どちらも「送る」という言葉の持つ、未来や過去への視線を、見えないものを実体化させて表現したり、「紙飛行機」から導きだしたり、素敵な二首だと思いました。