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鳥取県内の民具調査

 新鳥取県史では県内の民具資料についてまとめた一冊、「民具編」の刊行を目指しています。県史編さん事業の中で「民具編」という一冊が編さんされるというのは、とても珍しいことと思います。人々の日常生活の状況をあらわす生活用具「民具」は、急速な生活様式の変化により、日々廃棄され失われていきます。しかし、人々の日常生活を省みようとしたとき、日々の当たり前の生活を文字に書き記すことは少なく、その痕跡を示す資料は意外と少ないものです。その人々の日常生活を資料化するために「民具編」を編さんします。

所在調査の実施

 「民具編」を編さんするには、資料の確保とその調査分析が不可欠です。そのために2月から県内の博物館、歴史民俗資料館等に収蔵されている民具資料はどのくらいの数量になるか、どのような特徴があるか、それがどの程度整理されているか、調査を開始しました。これまで約20の資料館等を調査しましたが、調査の過程で、資料館以外の場所、たとえば小学校や廃校などにも民具が集められているという情報もあり、県内には予想していたよりもはるかに多くの民具が収集されていることが分かりました。おそらく総点数は1万点以上になるものと思われます。それらは、町村史編さん事業の際に、あるいは歴史民俗資料館の建設に合わせて収集されたものが中心になっているようです。

民具資料の状況

 資料館等に収められた民具は、廃棄されることを逃れたのですが、その未来は明るいとはいい難いものがあります。収蔵とはいっても、廃校となった学校の建物に、埃まみれになって押し込まれているものなど、管理が行き届いていない場合が多いのが現状です。庶民生活やその用具に関心がない人であれば、一見粗大ごみにも見える民具一つ一つの重要性が認められにくいというのも現実です。

 また今回の所在調査は、県史編さん事業のために民具自体の所在を把握すると同時に、資料目録、資料台帳などで得られる資料名、寄贈者、使用方法などのデータがあるかどうかを確認することも目的にしていましたが、半分以上の資料館等では目録・台帳がなく、あったとしても詳細なデータは記載されていないことが分かりました。資料目録や台帳により資料が管理されていないということは、もしも紛失や破損した際にも何も分からない状態にあるということであり、いい状況にはないことは明らかです。

 多くの場合、収集から20年以上経過し、収集の経緯を知る人もなく、資料の寄贈者への聞き取り調査をしようにも寄贈者が分からないものが大半です。所在調査では民具が置かれている厳しい現実を痛感させられました。

詳細調査の実施

 所在調査の結果を受けて、今年度から年1ヶ所、資料館を選び、県史編さん事業にとって重要と思われる資料群を地元の方々に協力を頂きながら、詳細調査を行います。写真撮影、法量測定、聞き取り調査を行い、集積した情報は地元と県史編さん室で共有化して、県史編さんのための資料とすると同時に、地元でも活用していただきたいと考えております。

 ご理解と、ご協力をお願いいたします。

(樫村賢二)

室長コラム(その12):「廻国塔」をめぐる話題二題

 かつて、日本全国の主要な神社仏閣を巡り、法華経を納める行を行う六十六部(あるいは六部)と呼ばれる人たちがいた。この呼び名は、明治以前の日本は66の国に分かれ、その全ての国にお経を一部納めたことに由来する。この行を行った人々は、各地に記念の石塔を建て、その石塔は「廻国塔(かいこくとう)」と呼ばれる。鳥取県内でも、おそらく300基以上の廻国塔があると推測される。交通手段の発達していなかった時代、徒歩で全国を回った人が、日本各地に、そして県内の普通の村や町の中に存在したのである。

 この廻国塔に関して、最近嬉しい話が二件あった。

 今年2月、鳥取環状道路建設推進室の職員が来室し、鳥取市の千代川に架かる八千代橋付近に石碑があり、それがどのような性格のものか教えて欲しいと相談があった。この石碑は、道路予定地内にあり、移転せざるを得ず、どう対応すべきか検討しているとのことだった。石碑の写真を見て、すぐに江戸時代の廻国塔であることがわかった。その旨を伝え、地元の歴史を物語る資料であり、ぜひ現在地に近い場所で保存していただきたいとお願いした。

 その後、再び推進室から連絡があり、この廻国塔の移設について、地元秋里地区で説明会を行うとのことだった。それなら、私が直接地元の方に歴史的価値について説明しましょうということになり、その日の夜に行われた説明会で、地区の代表の方々に説明した。その結果、この石碑は地元の了解を得て、秋里地区内の適当な場所へ移築し保存していただけることとなった。因みに、この廻国塔は、享和2(1802)年5月、秋里村の幸四郎によって建てられたもの。中央には、「奉納大乗妙典六十六部日本廻国中供養」とあり、全国を回った後でなく、途中の「中供養」であることがわかり、珍しい銘文である。

 もう一件は、鳥取市河原町袋河原にある廻国塔。国道53号線沿いにあるこの石碑は、私の通勤途中にあり、かなり以前から、転倒して表の銘文が見えなくなっていた。

 昨年6月、河原町古文書を読む会が主催して、河原町内の上方往来を歩く会を行い、私は講師として参加したが、その際、往来沿いにあるこの石塔について、袋河原の村はずれに立っており、参勤交代の行列が前を通った歴史的な石碑であり、ぜひこれを起こして銘文が見えるようにしていただきたいと参加者にお願いした。

 その後、何の反応もなく、重い石碑を立てるのはそう簡単ではないとあきらめていたが、この4月のある日、通勤帰りにふと見ると、石碑が起こされているのに気がついた。おそらく、地元の人たちが起こされたのだと思う。石碑の表には、阿弥陀三尊の梵字の下に、「奉納大乗妙典日本」とあり、以下は地中で読めないが、廻国塔であることは間違いない。その左右には、明和5(1768)年に覚翁という人物が造ったことが記されている(覚翁は俗名が甚八であることも記され、おそらく地元の住人であろう)。

 普段何気なく見過ごしている路傍の石造物だが、その一つ一つに地域の歴史がある。たまたま、私が関わった二つの石碑は、残され、建て起こされたが、中には、地元で関心も持たれないまま、失われていったものも多いだろう。石造物の存在に気づいたとき、立ち止まって何が書いてあるか、眺めて頂きたい。そこには先人たちの願いが込められている。

(県史編さん室長 坂本敬司)

活動日誌:2007(平成19)年4月

3日
募集手記関連聞き取り調査(鳥取市、西村)。
民俗資料調査(岩美町・若桜町、樫村)。
10日
募集手記関連聞き取り調査(岩美町、西村)。
11日
とっとり政策総合研究センター「水曜サロン」講師(鳥取県立図書館、坂本)。
16日
満蒙開拓義勇軍について募集手記関連史料調査(境港市、西村)。
17日
東部地区経済同友会例会講師(鳥取市、坂本)。
19日
民俗行事調査(鳥取市用瀬町、樫村)。
27日
民俗資料調査打合せ(日吉津村、樫村)。

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編集後記

 今回は、初めて民俗関係の記事を掲載しました。民俗は旧『鳥取県史』で十分に扱われなかった分野ですが、この度の新鳥取県史編さん事業では独立した部会を設置し、調査研究に力を入れていきます。その経過や成果については、この「県史だより」でも逐次お知らせしますので、ご注目ください。

 また、記事では触れていませんが、最近のもう一つの注目トピックに手記募集の第2弾があります。昨年度の「孫や子に伝えたい戦争体験」に引き続き、本年度は「戦後復興と昭和のくらし」というテーマで募集開始しました。多数のご応募をお待ちしていますので、よろしくお願いいたします。要項については、ホームページ「お知らせ」コーナー等でもご案内しています。

(大川)

  

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