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平家落人集落の現在と民俗調査の重要性

 山道を奥へ奥へと進み、ひっそりとした山間に桃源郷のように現れる集落、そして、そこには平家落人伝承や古式ゆかしい行事や芸能が伝えられる…。民俗学に興味がある者であれば誰もがそのような集落に行ってみたいと思うのではないかと思います。私もそのような落人伝説をもつ集落と聞けばわくわくして、時間を見つけては出かけていきます。

 鳥取県にも落人伝説をもつ集落はたくさんあります。ほとんどが山間僻地とされる交通の不便な豪雪地帯にありますが、そこのいくつかの集落を訪ねてその現状に驚かされました。全国的に山間集落の過疎化はすでに数十年前から問題化していますが、すでに定住者がほんの僅かである集落もあるということです。

落人伝説の村を訪ねて

 三朝町中津は平将門が落ち延びたという平家落人伝説をもっており、また安徳天皇が落ち延びたという伝説もあります。しかし、昭和30年には世帯数34であったものが、平成17年には世帯数6となっています。ここを訪れた今年の7月、冬季の積雪で潰された家も見え、少々寂しさを感じました。しかし、辻堂はきれいに維持され、平家一門の誇りと伝承を後世に伝えるべく記念碑を建てられているなど、この地域への思いは今も強いといえるでしょう。

中津集落の写真(2007.7撮影)
三朝町中津集落の写真(2007.7撮影)

現在の中津集落。空き家が多く、雪の重みでつぶれた家屋も見える。耕作放棄された農地も目立つ。

 八頭町姫路は平家落人伝説をもち、安徳天皇が隠れ住んだとも伝えられる地です。安徳天皇を祭神とする上岡田神社や、安徳天皇の祖母にあたる二位の尼や官女の墓であると伝えられている五輪塔群なども残ります。ここは「因幡志」(1795年)によると戸数26とあり、昭和40年においても世帯数26となっています。しかし35年後の平成12年には世帯数7と減少しています。現在では町のレジャー施設があり、神社も史跡もしっかり管理されており、耕地も維持されているところが多いようですが、やはり生活者が少なく寂しさもあります。

 智頭町板井原も平家落人伝説をもち、かつてカリョウと呼ばれる焼畑による耕作が行われ生業から見ても特徴ある地域です。平成14年に県伝統的建造物群保存地区に選定されており、集落内にある100棟余りの建造物のうち向山神社本殿や板井原公民館(旧分教場)など8つは登録有形文化財であり、景観としては美しく保存されています。しかし近世には約30戸であった集落も平成17年には世帯数6となっており、低地に生活の拠点を移し雪がない期間だけの出作り耕作者が多くなっているようです。

民俗調査の重要性

 全国に視野を広めれば、鳥取県の落人集落よりもさらに厳しい環境にある落人集落があります。その一つが秋山郷です。

 秋山郷は「平家の谷」とも呼ばれ、長野県と新潟県にまたがる峡谷、信濃川の支流の中津川上流に点在する12集落の総称です。秋山郷は現在でも豪雪により隔絶することもあり、江戸時代には飢饉で一集落が滅びるなど厳しい環境ですが、住民は郷土に対する愛着や自信があり、活気も感じられます。一時は行われなくなっていた焼畑農業を記録保存ではなく復活し、過疎化の中で文化や資源をどう引き継ぐかを考える「秋山郷常民大学」を毎年開催し、焼畑の実演や、講演会を開いて、村内外から人を集めています。そのような活動の原動力の一つと考えられるのが、鈴木牧之(注)が文政11(1828)年に秋山を見聞した記録である『秋山記行』ではないかと思います。『秋山記行』には180年前の秋山郷の様子や伝承が、挿絵を交えて緻密に記録してあり、貴重な民俗誌となっています。『秋山記行』は秋山郷の先人が焼畑、狩猟などを行いながら厳しい環境に立ち向かっていた様子を伝え、住民はそれから学び、先人や郷土への思いや関心を深め、誇りをもって郷土を守っていこうとする原動力になっているように見えます。

 集落が衰退してきているといっても、郷土への思いを秘め、先人からの伝承を守り続けている人がおり、その人々から聞き取り、書き記し、後世に伝えることは、後の人々に自分のルーツ、土地のルーツを知り、自分のスタンスを確かめるための重要な資料となります。そのため今、県史事業における民俗調査は非常に重要な責務を担っていると感じています。郷土に誇りをもち、自信に満ちて生きられる郷土人つくりをする、その役割を果たすため努力していきたいと思います。

(注)越後魚沼郡塩沢の豪商、文人。牧之が世に初めて秋山郷を紹介した『北越雪譜』は越後を中心とした雪国の生活、習慣、民具等を紹介した雪国百科事典。天保8(1837)年に江戸で出版されベストセラーになった。

(参考文献)郡家町誌編集委員会編『郡家町誌』(1969)60~65頁、智頭町誌編さん委員会『智頭町誌』下巻(2000)78~85頁。

(樫村賢二)

室長コラム(その16):幕末の村の医師事情

 地方での医師不足が問題になっている。健康な時はあまり気にならないが、病気になった時、身近に病院や開業医があることのありがたさがよくわかる。これから高齢化がさらに進めば、その必要性は増すばかりだろう。

 県統計課が刊行している『鳥取県統計年鑑』によれば、平成16年現在、県内の医師数は1,709人(人口1万人当たり28.1人)、病院数は46(同0.75)、診療所数は553(同9.1)だそうだ。この数に歯科医師は含まれていないが、歯科医師数は360人(同5.9人)、診療所数273(同4.5)となっている。

 それでは、江戸時代の鳥取には、医者がどれくらいいたのだろうか。残念ながら、県全域でそれがわかる史料はないが、東伯郡琴浦町箆津(のつ)の河本家文書の中に、幕末のこの地域の医者について判明する史料が残されている。

 河本家は、八橋郡(やばせごおり)の大庄屋を勤めた家で、八橋郡は、旧大栄町(現北栄町)・現琴浦町・旧中山町(現大山町)の東半分が、ほぼその範囲である。鳥取藩では、慶応4(明治元、1868)年から明治4年にかけて藩内の医師の調査を行っており、河本家が八橋郡内について調査した記録が同家に残されたのである。

 同家の史料から、八橋郡内でこの時期に40名の医者が存在したことが確認できる。住んでいる村を見ると、この地域の中心的な町である赤碕に9名の医師が集中しているものの、周辺の農村部の村々にも点々と医者が存在したことがわかる。八橋郡には、ほぼ現在の大字に当たる村が107あったので、赤碕のような町を除いても、数カ村に一人は医者がいたと言える。郡内どこでも、歩いて一時間程度の範囲には必ず一人は医者がいるという状況が想定できる。

 明治時代初期の八橋郡の人口は、約2万4千人だから、当時の人口1万人当たりの医師数は約16人となる。これは、最初にあげた現在の県全体の数値より低いが、当時の医者は現在の個人開業医のようなものであるから、40人の医者をそのまま診療所数と見れば、1万人当たりの診療所数では、歯科医師を含めた現在の診療所数とほぼ変わらない。歯科医師が歯以外の病気を見ないことや、開業医が実際には都市部に集中していることを考えれば、むしろ幕末の方が、より住民の身近に医者が存在したと言えそうだ。

 ところで、江戸時代には、どのような人が医者になったのだろうか。勿論、家業を継いで医者となる場合も多い。例えば、赤碕の医師伊藤淳盛は、先祖は慶安年間(17世紀中ごろ)から赤碕に住み、以後11代医者を続けているといい、同じく、赤碕の池本謙貞も医者として3代目と記されている。しかし、池本家の場合は、初代は赤碕周辺の村の神職の次男で、幼少から医術を志したという。このように、村や町の知識層の家で、家を継ぐことのない次三男の「就職先」の一つが医者だった。先輩の医者に弟子入りし、そこで修行を積み、医師として独立する。その中には、やがて出身地にもどって開業したり、あるいは、医者のいない村から乞われて村に移り住む者もあった。幕末の地域社会は、医療という点では、結構安心して暮らせる社会だったように感じられる。

(県史編さん室長 坂本敬司)

活動日誌:2007(平成19)年8月

1日
中世石造物調査打合せ(智頭町他、岡村)。
4日
県史編さん協力員(古文書解読)月例会(鳥取市、坂本)。
5日
県史編さん協力員(古文書解読)月例会(米子市・倉吉市、坂本)。
13日
中世史料調査(鳥取市やまびこ館、岡村)。
16日
精霊船送り調査(湯梨浜町橋津、樫村)。
20日
共同民俗調査(~23日、若桜町・智頭町、樫村)。
22日
大神山神社史料調査(米子市、坂本)。
24日
中世石造物調査(琴浦町、岡村)。
満蒙開拓関係史料調査(鳥取市、西村)。
26日
中世史料調査(日吉津村、岡村)。
27日
旧荒金鉱山について聞き取り調査(岩美町、西村)。
中世史料調査(大山町・伯耆町、岡村)。
28日
中世史料調査(米子市、岡村)。
29日
大神山神社史料調査(米子市、坂本)。
30日
史料調査(~31日、東京国立ハンセン病資料館・防衛省防衛研究所、西村)。
民具調査(日吉津村、樫村)。

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編集後記

 私は、今年2月より鳥取県民となった新人ですが、初めての鳥取の暑さはきびしく感じました。しかし、休日に海に行けば水も砂浜もきれいで気分転換には最高で、海産物もおいしく夏バテもせず乗り越えられました。また仕事では8月に4日間、民俗部会の調査委員による共同民俗調査を若桜町、智頭町で実施したため、前回は編集を大川主事にお任せしてしまいましたが、その調査の様子は「活動日誌」でお伝えしたいと思います。最近では各部会による調査の回数も増えてきており、その様子は可能な限り、お伝えしていきますのでご期待ください。

(樫村)

  

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