戦前の寄附金
先日、生まれ育った市に現金10億円を寄付した女性のニュースが新聞を賑わしました。「教育やスポーツ振興に役立ててほしい」と、米寿の誕生日に渡されたその額は、市の年間予算の6.7%に相当するというから大変な金額です。
この10億円はもちろん自発的な寄付ですが、戦前の社会では、受益者負担の発想から、府県道整備や警察署営繕などで府県による地元住民への強制的な寄付割当が行われたり、官製団体を通じた募金活動も行われました。現在執筆中のブックレット『鳥取県の無らい県運動』に登場する鳥取県癩(らい)予防協会(注1)もその一例です。
鳥取県癩予防協会の募金活動
日本では、癩予防法(昭和6年)に基づいてハンセン病患者の隔離政策が行われ、府県から患者を一掃しようという「無らい県運動」が勃興しました。鳥取県はこの運動に特に熱心で、県内外から寄附金を募り、国立療養所長島愛生園内に宿舎を建設し、県出身者を送致しました。募金活動の受け皿となったのが鳥取県癩予防協会で、戦前の衛生行政を担当した警察部衛生課に事務局をおき、昭和11年11月から翌年3月までの4ヶ月あまりの間に、県内外の有志・市町村から目標額6万円の8割にあたる4万8千円を集めました。
「予想以上の成績」の理由
この募金結果について、協会会頭でもある立田知事は、「県民全般ノ非常ナ御同情ニ依」る「予想以上ノ成績」(昭和12年4月の財団法人鳥取県癩予防協会での発言)と高く評価しますが、実は計画が早期に達成された理由は、患者に対する同情心のみではありませんでした。募金活動開始早々の昭和11年12月5日、県議会木下議員によって次のような批判が行われました。
近来此警察ヲ経テナサル処ノ寄附ノ勧誘ト云フモノガ非常ニ多イヤウニ聞イテ居ルノデアリ...警察ノ方ノ寄附ノ勧誘ハアレヲ何ントカ其止メテ貰フヤウナコトハ、出来ナイノデアリマセウカト云フコトヲ私共ハ能ク聞クノデアリマシテ、別ニ警察カラ寄付ノ勧誘ヲ受ケテモ別ニ強要ヲナサル訳デハナイカラ之ハアナタ方ガオ断リニナツタラト斯ウ申シマスケレドモ...何時警察ノ御厄介ニナルトモ限リマセヌ、或ハ又人ニ依リマシテハ私共ノ商売ト致シマシテ、警察ノ御機嫌ヲ損シテハヤッテ行ケナイ商売デアリ...県ノ上層部ニ於イテハ之ハ篤志家ノ浄財トシテ、自ラ進ンデ寄附ヲサレタモノトオ思ヒデアリマセウケレドモ...中ニハ不平満々トシテ居ルヤウナ人モ相当ニアルノデアリマシテ、最近ニ於キマスル処ノ癩ノ療養所ノ寄附ノ問題ノ如キコトハ、非常ニ私共カラ見マスルト云フト県ニ於ケル処ノ募集ノ技術ニ非常ニ拙劣ダト思フノデアリマス(後略)
警察による寄付が多いこと、警察の寄付は断りにくいことが批判の的となっています。
次表は昭和11年「県ノ後援又ハ斡旋ニヨル寄附金調」 (注2)から、警察に関するものを抜き出したものです。老朽化した警察署庁舎の改築費用募集が各地で行われていたことがわかります (注3)。警察からの寄付要請は強制ではありませんでしたが、警察の顔色を窺いながら生活を送り、商売を行う人々の気持ちが巧みに利用されました。
ほかにも、帝国軍人後援会鳥取支部、恩賜財団済生会鳥取県支部、大日本消防協会鳥取支部長(知事)など、官製団体の募金活動が並行して行われており、住民の負担感は大きくなっていました。
警察部衛生課に事務局をおく、官製団体である鳥取県癩予防協会も、まさにそうした存在であったために、批判の対象になりながらも、4ヶ月後に「予想以上の成績」を納めることになるのです。
戦後の寄附金
昭和23年に成立した地方財政法(昭和23年7月7日法律109号)は、国又は地方公共団体が、住民に対して、直接間接であることを問わず、寄附金(物品を含む)を割り当てて強制的に徴収することを禁じています(第4条の5)。県の一般会計歳入決算に占める寄附金の割合も戦前に比べて大きく減少しました。平成18年度の鳥取県一般会計歳入決算額3763億7千6百万円に占める寄附金額は1億1千5百万円で、率にして0.03%となっています。(注4)
ブックレット『鳥取県の無らい県運動』では、上記に加えて、鳥取県癩予防協会の固有の問題についても触れたいと思います。
(注1)本文中の「癩」の表記については、「癩」「らい」がしばしば差別的に使用され、「ハンセン病」への書き換えも患者自治会の運動によって達成されたことは明らかですが、歴史を正しく伝えるためには当時の差別的表記を使用することは避けられないとの観点から、議事録引用と歴史用語に「癩」「らい」を使用しました。
(注2)「資料」昭和11年(県立公文書館蔵、No.2568)。
(注3)昭和9年9月「鳥取県治概要」(県立公文書館蔵、No.2567)。
(注4)「平成18年度一般会計決算について」(平成19年8月21日財政課資料提供)。
【関連ページ】『県史だより』第4回「長島愛生園を訪ねて」もご参照ください。
(西村芳将)
最近、鳥取の歴史に関する本が相次いで刊行された。奥付の発行日順に列記すると、中林保著『因幡・伯耆 城下町の系譜と江戸の旅』(10月20日)、須崎博通著『鳥取近代化の歴史考―明治・大正期―』(11月6日)、中村忠文著『中村一氏・一忠伝』(11月20日)、濵田英一著『ふるさと鳥取を読む』(11月30日)の4冊。それぞれ、著者の長年の研究に基づいた労作であり、一般にも読みやすい本なので、ここで紹介させていただきたい。
中林保先生は、現在74歳。高校の先生時代から、歴史地理学を研究され、旧『鳥取県史』にも執筆いただいている。今回の本では、「城下町の系譜」「鳥取藩の参勤交代」「伊勢参り」の三つをテーマに、わかりやすくまとめられている。
須崎博通先生は、64歳。同じく、長く高校で教鞭を取られ、すでに著書も何冊か上梓されている。今回の本は、鳥取県の近代史について、「女性の職業進出」「地域民運動」「生活文化の洋風化」の三つの編に分けて、ここ数年の研究成果をまとめられている。
中村忠文先生は、78歳。本業の歯科医師の傍ら、鳥取県ユネスコ連絡協議会会長を務められ、また、御自身のルーツである米子城主中村家に関する研究をはじめ、郷土史に関する著書も多い。この本は、先生の中村氏研究の集大成ともいえるもので、米子城主中村一氏・一忠父子について、その生涯をわかりやすい文章でまとめると共に、一般には入手しにくい史料や先行研究を、資料編として掲載されている。
濵田英一先生は、76歳。やはり、長年高校で地理の先生をしながら、生徒と共に地域研究に取り組んでこられた。今回の本は、先生がこれまでさまざまな書籍、学校通信、新聞等に発表されてきた文章を一冊にまとめられたもので、地域や教育の幅広い分野についての文章が収められている。
より詳しくは、直接手に取って御覧いただきたいが、このように、先輩世代が御自身の研究成果をまとめていただくことは、後進の者にとっては、非常にありがたいことだ。元気な先輩世代に負けないよう、我々も頑張らねば。
(県史編さん室長 坂本敬司)
1日
石造物調査(大山町、岡村)。
民具資料調査(日吉津村民俗資料館、樫村)。
2日
資料調査(大阪府公文書館、西村)。
3日
県史編さん協力員(古文書解読)月例会(鳥取市、坂本)。
4日
県史編さん協力員(古文書解読)月例会(米子市・倉吉市、坂本)。
5日
三崎殿山古墳測量現地打合せ(南部町、岡村)。
7日
部落解放研究全国集会(~8日、長野市、西村)。
東京大学史料編纂所東郷荘プロジェクトへ参加(~9日、鳥取東高・鳥取西高・鳥取大学・湯梨浜町、岡村)。
13日
民俗調査(鳥取市佐治町、樫村)。
15日
石造物調査(大山町、岡村)。
民具資料調査(日吉津村、樫村)。
16日
出前講座(鳥取三洋電機、岡村)。
20日
史料調査(岩美町、坂本)。
21日
出前講座(広島市、岡村)。
22日
史料調査(広島大学、岡村)。
新鳥取県史シンポジウム打合会(米子市淀江文化センター、樫村)。
27日
資料調査(~28日、長島愛生園、西村)。
29日
出前講座(県社会福祉協議会、岡村)。
全国都道府県史協議会(徳島市、樫村・大川)。
★「県史だより」一覧にもどる
★「第21回県史だより」詳細を見る