知事部局で現用利用されている公文書の簿冊名一覧である「平成24年度簿冊管理簿」(鳥取県公文書等の管理に関する条例第7条)を当館閲覧室にも排架しました。
平成24年度簿冊管理簿
公文書担当
平成24年11月27日、日南町が保管する近世文書の撮影を行いました。史料が保管されている日南町郷土資料館です。廃校となった石見西小学校の建物が利用されています。
(写真1)文書が保管される日南町郷土資料館
今回撮影した史料の一部、嘉永3(1850)年の「日野郡神戸三ヶ村宗門御改帳」(写真2)です。神戸(かど)三ヶ村とは神戸村、飛時原(ひじはら)村、中野村で、現在の日南町神福地域です。宗門改帳とは、江戸時代にキリシタン統制の目的で作成された帳簿で、家ごとに檀那寺名、名前、年齢、続柄等が記されており、現在の戸籍のような性格を持っています。今回、調査に協力いただいた日南町教育委員会様に御礼申し上げます。
(写真2)日野郡神戸三ヶ村宗門御改帳
県史編さん室
平成24年10月20日(火)、 新鳥取県史編さん専門部会(民俗)は、倉吉博物館、横浜市歴史博物館と共同で鍛冶屋の神様である金屋子神(かなやこかみ)を調査しました。 調査したのは、かつて倉吉市鍛冶町で千歯扱きの鍛冶屋を営んでいた山崎家です。
金屋子神は、中国地方を中心に鍛冶屋で祀られる神様で、女性の神様とするところが多いですが、男性とする場合もあります。この金屋子神は山崎家が千歯鍛冶をしていた当時から、屋敷に祀られているそうです。幕末に倉吉地方で活躍した仏師作と思われますが、彩色も美しく、大切に祀られてきたことがわかります。また山崎家には、千歯扱き行商が営業のためにサンプルとして持ち歩いたという、千歯扱きのミニチュアも所蔵されています。倉吉の千歯扱きは行商によって全国に広がっていったとされますが、その様子を示す資料は乏しく、大変貴重な資料です。
この金屋子神と行商用ミニチュア千歯扱きは、来年1月26日から3月24日まで横浜市歴史博物館で千歯扱きに関する企画展で展示され、一般公開される予定です。関心がある方は、少し遠いですが横浜観光に合わせて御覧いただければと思います。今回御協力いただいた、山崎様に御礼申し上げます。
(写真1)金屋子神について聞き取り調査をする横浜市歴史博物館の刈田学芸員
(写真2)山崎家の金屋子神像。白狐に女神の金屋子神が乗っています
(写真3)手のひらサイズの行商用ミニチュア千歯扱き
県史編さん室
三朝町古文書を読む会の皆さんが来館されました。
今月の1点として展示中の「東伯郡の合併による倉吉市市制施行関係綴」の内容に興味を示されました。三朝町の地元からも北海道への移住者があったとの声があがっていました。
(写真1)「東伯郡の合併による倉吉市市制施行関係綴」を見る様子
(写真2)北海道移住者の展示を見る様子
公文書担当
平成24年11月12日、鳥取市中ノ郷地区公民館の皆さんが来館されました。鳥取県の県域の移り変わりを興味深く聞いておられました。
(写真1)説明を聞く鳥取市中ノ郷地区公民館の皆さんの様子
(写真2)子供たちも熱心に話を聞いています
公文書担当
平成24年11月8日、再び境港市史編さん室資料調査です。今回は、約2ヶ月ぶりの参加となる岸本委員と、今のところ皆勤の岩佐委員が参加してくださいました。
岩佐委員が今回注目されたのは、終戦の翌年である昭和21年の郵便ハガキです。昭和21年の始め頃は、物の無い時代をあらわしてか、今では考えられないようなとても小さなハガキが使われていたようです。ところが昭和21年の終わり頃になると、今とそう変わらないサイズになっていきます。「日本の急速な回復力が目に見えるようです」とのコメントをいただきました。
岸本委員も第二次大戦後の資料に注目されたようです。「外江村の史料は、第二次大戦直後の村の変化が克明に記されている点だけでなく、逆に粛々と行政が継続していることも記されて興味深いものです」とのことでした。
(写真1)調査中の岩佐委員
(写真2)岸本委員
県史編さん室
平成24年10月29日から30日、 新鳥取県史編さん専門部会(民俗)では大山町宮内の高杉神社で4年に1度行われるうわなり神事を調査しました。
この神事の起こりは高杉神社に次のように伝わっています。
- 雄略天皇丙辰(476)年、近郷で次々と災難が起こった。
- 託宣(神のお告げ)によって、孝霊天皇(紀元前342年~紀元前215年:『古事記』『日本書紀』に記される第7代天皇)に仕えた2人の官女「松姫命」と「千代姫命」の霊魂が、本妻である「細姫命」に対して嫉妬していることが原因とわかった。
- 3人の姫の社をつくって祀り、祭日には神事を行ったところ、災難は治まり幸せに生活することが出来る様になった 。
「うわなり」とは後妻のことです。室町時代から江戸時代にかけて、後妻打ち(うわなりうち)という民間習俗がありました。夫が後妻をめとったとき、先妻が親しい女たちにたのみ、使者を送って予告のうえで後妻の家を襲い、家財などを打ち荒らすというものです(参照:小学館『日本国語大辞典』)。うわなり神事は、この習俗が神事化したものと思われます。調査に御協力いただいた、高杉神社、宮内地区の皆様に御礼申し上げます。
【前夜祭1】年番で選ばれた3人の打神(うちがみ)が高杉神社で前夜祭に参加します。
【前夜祭2】宮司がくじ引きをします。
それによって本殿(もとどの)、仲殿(なかどの)、末殿(あとどの)が決まります。
【潮垢離(しおこり)1】祭当日の早朝、3人は神社に集合します。
【潮垢離2】宮司による神事の後、3人は福尾海岸に向けて出発します。
【潮垢離3】福尾海岸に着くと、身体を清め、塩草(海藻)を拾い藁苞(わらつと)につめます。
【潮垢離4】福尾海岸に末殿の御幣を立てて帰途につきます。
【潮垢離5】藁苞と塩草の様子
【潮垢離6】仲殿は、帰る途中に仁王堂の北端に御幣を立てます。
【潮垢離7】本殿は、高杉神社に戻ってから本殿北側に御幣を立てます。
【潮垢離8】塩草が入った藁苞を奉納すると潮垢離は終了です。
【潮垢離9】塩草の様子
【うわなり神事1】深夜11時に神社に集まった打神3人。
神事の後、宮司が御供(神饌)の飯を茅の箸で一口づつ食べさせると
打神に本殿、仲殿、末殿の神霊が憑依(ひょうい)するといいます。これを入座式といいます。
【うわなり神事2】入座式が終わると打神3人、御幣を持った氏子が神社前の小川に行き、
打神は冷水で禊(みそぎ)をします。これを水垢離(みずこり)といいます。
【うわなり神事3】打神3人が禊をする小川。禊の様子は撮影禁止になっています。
【うわなり神事4】水垢離が終わると一度、神社に戻り打神3人は待機します。
【うわなり神事5】打神3人は、神社境内に4本の竹と注連縄で設けられた神事場(じんじば)へ神幸行列します。
ここで、投げ盃式、打ち杖渡し式、打ち杖の締め直し、打ち合い式、成就式が行われます。
【うわなり神事6】打ち合い式に使用される打ち杖。
長いものを本殿、中を仲殿、短いものを末殿が使用します。
打ち合いといっても殴り合う訳で無く、打ち杖を利き手でない方に持たせ、打ち杖を打ち合わせます。
同時に斎主が「本殿の勝ち」と大声を掛けて勝負をつけます。この様子は現在、撮影禁止です。
【うわなり神事7】最後に打神3人は、氏子たちに御供の飯を御幣の紙に載せて配ります。
これでうわなり神事は終了します。
県史編さん室
平成24年11月1日、またまた境港市史編さん室にお邪魔しました。今回で旧外江村役場資料の調査が一通り終わりました。そこで各委員に旧外江村役場資料の感想を伺いました。
田村委員「町村議会関係の資料がよく残してあった。保存状態もきれい」。
喜多村委員「おもしろかったです」
岩佐委員は「他の村と比べてみないとなんとも言えない」ということでした。
境港市史編さん室資料調査もこれで残すは旧渡村役場資料、旧余子村資料、旧上道教育委員会資料になりました。
(写真1)資料選定中の田村委員
(写真2)喜多村委員(左)と岩佐委員(右)
県史編さん室