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教科書は西洋にならって:明治初期の経済学の一例

『新鳥取県史 資料編』の刊行

 県史編さん室では、この2012(平成24)年3月末、『新鳥取県史 資料編』を3冊同時に刊行しました(有償頒布の開始はもう少し先になりますが―)。『新鳥取県史 資料編』は県の重要な歴史・民俗資料を集成するシリーズで、今回刊行したのは、そのうち「近世1」「近代2」および「近代3」の各巻です。私は後二者を担当しました。

 この両巻には、2010(平成22)年3月刊行の「近代1」に続き、「鳥取県史料」(国立公文書館所蔵)を活字化した上で収録しています。「鳥取県史料」は、明治初期に鳥取県が作成して国に提出した手書きの資料です。当時の県(藩)の政治・行政や社会に関する様々な事項を記録しており、鳥取県の最も重要な近代史資料の一つといえるでしょう。

 今回の「県史だより」では、この「鳥取県史料」に書かれている記事のなかから、個人的に興味を引かれたトピックを一つご紹介しようと思います。採り上げるのは、教育分野の記事です。

ある教科書の書き出し

 様々な分野を網羅する「鳥取県史料」ですが、なかでも教育分野の記載は豊富で、明治初期に教育制度が複雑に変遷していった試行錯誤の過程に関し、詳細な記録を提供してくれます。それらに依拠した制度史的な叙述は『鳥取県教育史』や『新修鳥取市史』に詳しいので(注1)、ここでは当時の教科書に目を向けてみましょう。

 「鳥取県史料」には、明治初期の県内各学校で使われていた教科書のリストが載っています。そのなかで私が興味を引かれた一冊が、1877(明治10)年に刊行された『経済要旨』という経済学の教科書です(注2)鳥取県立図書館に実物が現存していますので、今でも手にとって読むことができます。その冒頭部分は次のとおりです。

金ト銀トハ、最モ貨幣ニ造ルニ適ス。(中略)凡人間ノ利用ヲ論スレハ、金銀ハ鉄ニ如カス。刀剪鋤犂ノ類ハ、人間生業ヲ営ムニ一日モ闕ク可カラザル者ナリ。刀剪鋤犂ヲ造ルハ、鉄ニ及フ者ナシ。金銀ヲ以テ之ヲ造レハ、鈍ニシテ用ニ中ラス。然ルニ、金銀ノ価、却テ鉄ヨリ貴キハ何ソヤ。(後略)

 刀や鋤(すき)などに最適な材料としてきわめて有用な鉄よりも、そのような実用性があまりない金や銀の方が高価で、貨幣として用いられているのはなぜか?そう問いかける文章です。

『経済要旨』上・下巻の写真
『経済要旨』上・下巻(鳥取県立図書館所蔵)

水とダイヤモンドのパラドクス

 これを読むと、経済学の祖として有名なアダム・スミス(Adam Smith、1723~1790年)による「水とダイヤモンドのパラドクス(逆説)」を思い起こされる方があるでしょう。

 スミスは主著『国富論』において、財物の使用価値と交換価値の違いを論ずるため、これ以上なく有用なのにほとんど何とも交換することができない水と、ほとんど何の役にも立たないのに多量の財貨と交換可能なダイヤモンドとを対比してみせました(注3)。例示する品は違えど(また、議論のレベルも違えど)、『経済要旨』が論じようとしたのも同じ問題です。ただ、ここでは議論の中身については立ち入らないでおきましょう。

 ともあれ、水とダイヤモンドのパラドクスは、今も大学の経済学の講義ではおなじみの問題です。しかし、同じような問題を扱う『経済要旨』が、実は1882(明治15)年の小学校高等科、つまり現在の中学校1~2年生用の教科書だった(注4)と知れば、驚く方も少なくないのではないでしょうか。

教科書の内容と元ネタ

 『経済要旨』の章立ては、先の引用文で始まる「物価」以降、「工価」、「貧富」、「財本」、「租税」などと続き、いわゆる政治経済学(political economy)の基礎を一通り解説する構成になっています。平易な文体ではあっても、10代前半の生徒にとってはかなり骨太な内容というべきでしょう。

 実はこの『経済要旨』、1869(明治2)年に刊行された『経済説略(The compendium of political economy : from the lesson book)』という英文書籍の邦訳であることが知られています。さらに『経済説略』には、元ネタとなる本があったことも分かっています。それは、アイルランドで19世紀に使用されていた小学校の教科書だといいます(注5)。維新後間もない鳥取の小学校で使われた教科書は、はるか彼方にルーツを持つものでした。

 このほかにも、「鳥取県史料」収録の教科書リストには、洋書の邦訳版らしい書籍がいくつか挙げられています。西洋を手本に近代化を急ぐ当時の日本の姿は、こうした学校現場の教科書のなかにも見られたのです。

明治初期の小学校教育

 もっとも、当時の学校教育がまだ普及途上にあったことを忘れてはいけません。1882(明治15)年の統計によれば(注6)、この年、県内には165校の公立小学校がありましたが、学齢期の男児のうち就学していたのは約67%、女児の場合は約22%に過ぎませんでした。しかも、これは「就学十六週日ニ満タサリシ者」を含む数字です。当時、8年制の小学校は義務教育でしたが、実際には誰もが『経済要旨』を学んだとは言い難い状況だったようです。

 1872(明治5)年に公布された日本初の教育法規「学制」、79(明治12)年のいわゆる「教育令」公布と翌年におけるその改正と続く、明治黎明期の教育政策・制度は、その普及が急がれる一方、西洋文明の摂取と儒教的な徳育主義への回帰との間で揺れました。西洋由来の『経済要旨』は、そうした時代の流れのなかで読まれていたわけです。

最後に一言

 紙幅が尽きてきました。この「県史だより」ではほんの一例しかご紹介できませんでしたが、『新鳥取県史 資料編』収録の「鳥取県史料」には、ほかにも多くの興味深い記事が記載されています。ぜひ手にとっていただければと思います。

(注1)鳥取県教育史編纂委員会編『鳥取県教育史』(鳥取県教育委員会,1957年)、鳥取市編『新修鳥取市史』第5巻(2008年)教育篇。

(注2)西村茂樹訳『経済要旨』上・下(前川源七郎,1877年)。なお、1874(明治7)年と77(明治10)年に刊行された版は、国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」で全文閲覧可能です。

(注3)アダム・スミス/大河内一男監訳『国富論』1(中央公論新社,2010年)55頁。

(注4)鳥取県立公文書館県史編さん室編『新鳥取県史 資料編 近代2 鳥取県史料2』(鳥取県,2012年)397頁の「小学教科用書表」。

(注5)上野格「明治二年の経済学教科書(英文):松川説・堀説への補記」(一橋大学社会科学古典資料センター編『一橋大学社会科学古典資料センター年報』第18号,1998年)。

(注6)前掲『新鳥取県史 資料編 近代2 鳥取県史料2』510頁の「明治十五年学事統計表」。

(大川篤志)

活動日誌:2012(平成24)年2月

3日
資料調査に関する協議(公文書館会議室、清水)。
4日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、坂本)。
民俗(ホトホト行事)調査(日野町菅福、樫村)。
5日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、坂本)。
6日
資料調査(公文書館会議室、清水・大川)。
7日
史料釈文校訂作業(~9日、東京大学史料編纂所、錦織委員・岡村)。
8日
資料調査(公文書館会議室、清水・大川)。
9日
民具調査(松江市八束支所、樫村)。
17日
古郡家・六部山古墳報告書作成に関する協議(県立博物館、岡村)。
民具編目次構成検討会・資料検討会(公文書館・倉吉博物館、樫村)。
24日
民俗(四王寺祭り)調査(倉吉市大谷、樫村)。
資料借用(鳥取市埋蔵文化財センター、岡村)。
26日
民俗(交通交易)調査(倉吉市・松江市八束町、樫村)。
27日
史料釈文校訂作業(~28日、東京大学史料編纂所、秋山委員・岡村)。
28日
古郡家・六部山古墳出土遺物撮影(~3月2日、県立博物館、坂本・岡村)。

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編集後記

 記事のなかにもあるように、『新鳥取県史 資料編』が3冊刊行となりました。既刊の1冊とあわせて4冊が世に出たわけです。新鳥取県史編さん事業全体では20冊の刊行を計画していますので、まだほんの5分の1ではありますが、事業の開始から関わってきた担当者としては、なかなか感慨深いものがあります。と、書いているこの「県史だより」自体も今回で第71回ですから、ずいぶん回を重ねてきたものです。

 実は、この感慨深さには個人的理由もあって、この4月で近代担当の大川は異動することになりました。6年間、ありがとうございました。そのほかにもメンバー・チェンジのあった県史編さん室ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

(大川)

  

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