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江戸時代の鳥取の本屋

はじめに

 江戸時代は、書籍が大量に流通しはじめた時代です。それまで公家や寺社などで写本の形で一部の人間のみが手に入れることができた書籍は、江戸時代には庶民も手にすることができるようになりました。

 江戸・京都・大坂の三都においては数多くの本屋が営業し、本屋は小売りだけではなく出版も行いました。代表的な江戸の本屋として、黄表紙(きびょうし)(注1)や浮世絵版画を出版した蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)、武鑑(ぶかん)(注2)を出版した須原屋茂兵衛(すはらやもへえ)などが知られています。

 一方、鳥取では藩による出版事業が行われたことは知られていますが(注3)、民間の本屋についての言及はなく、江戸時代の鳥取の本屋の実態についてはほとんど明らかになっていないと言って良いでしょう。

 ここでは、鳥取において文化や情報の伝播を担った本屋について述べてみたいと思います。

鳥取の本屋

 江戸時代の鳥取にはどのくらいの本屋があったのでしょうか。安政年間(1854~1859)の藩による調査では、鳥取城下には書林(本屋)が4軒あったといいます(注4)。また元治元(1864)年の鳥取城下には、二階町二丁目の油屋仲蔵、上魚町の樽屋又七、出雲屋清兵衛、元大工町の訓谷屋文次郎、立川一丁目の釜屋善左衛門の5軒の本屋があったことが藩の記録から分かります(注5)

 これらの本屋の営業の実態はどのようなものであったのでしょうか。比較的史料が残っている油屋仲蔵を例に見てみましょう。

油屋仲蔵の商業活動

 これまで調べた限りでは、本屋として油屋仲蔵が初めて記録に現れるのは嘉永3(1850)年4月のことです。この時、油屋仲蔵は藩の「書物類御用聞」、つまり藩の御用達(ごようたし)本屋となりました(注6)

 しかし、油屋は本だけを販売していたわけではないようです。慶応元(1865)年2月の記録には、「御用聞油屋仲蔵儀、御書物御用拾九年相勤め、先達ては米問屋も七ヶ年相勤め、…」(注7)とあり、「御書物御用」、つまり藩へ書籍を納入する御用を19年勤めている(注8)のに加え、米問屋を7年勤めているとあります。

 また油屋は、本屋と同時期に筆墨商をしていたという記述も藩の記録に見られ(注9)、書籍販売のみにとどまらない多角経営を行っていたことが分かります。そのことはつまり、藩の御用本屋となるような店であっても、書籍販売だけでは商売が成り立たなかったということを意味しています。

油屋が出版した書籍

 油屋は書籍を販売するだけではなく、出版も行っていました。現在日本で刊行されている書籍には、巻末(奥付:おくづけ)に出版社名が書かれていることが多いですが、江戸時代に出版された本にも同様に、奥付に出版に関わった本屋の名前が書かれています。書籍の奥付に「油屋仲蔵」の名が記されている書籍は次のとおりです(注10)

(1)「尚書典謨説」(箕浦世亮著、文化6年序)

(2)「類題稲葉集」(中島宜門編、嘉永5年12月跋)(注11)


類題稲葉集の写真
「類題稲葉集」(鳥取県立図書館蔵)

(3)「貞享式海印録」(曲斎著、安政6年序)

(4)「七部婆心録」(曲斎著、万延元年跋)

(5)「研志堂詩鈔」(正墻適處著、文久元年刊)

研志堂詩鈔の写真
「研志堂詩鈔」奥付(鳥取県立図書館蔵)

(6)「名和氏紀事」(門脇重綾著、文久2年刊)

(7)「呉子解」(河田孝成著)

(8)「司馬法解」(河田孝成著)

 書名と著者名を見るだけでは分かりにくいのですが、(1)(2)、(5)~(8)はいずれも鳥取藩士の編著書です。(1)の著者の箕浦世亮(みのうらせいりょう)は鳥取藩の儒者で、鳥取藩校尚徳館(しょうとくかん)の創設に携わった人物です。(2)の中島宜門(なかしまぎもん)は鳥取藩士であり歌人でもありました。(5)の正墻適處(しょうがきてきしょ)は、幕末に活躍した鳥取藩士で、藩校の改革にも寄与しました。(6)の「名和氏紀事」は「因幡尚徳館蔵版」と奥付にあり、鳥取藩校の尚徳館が版木を所蔵していました。つまり藩の出資で出版された書籍ということになります(注12)。編者の門脇重綾(かどわきしげあや)も鳥取藩士で、国学者でもあった人物です。(7)(8)の河田孝成(かわたこうせい)も鳥取藩の儒者で、学館(藩校尚徳館)奉行を務めました。

 残りの(3)と(4)はいずれも俳書(俳句の本)です。奥付には全国各地の本屋の名前が書かれており、油屋はそのうちの一人に過ぎません。これらの二書については、油屋が出版に関わったというよりは、販売店として名前が出ているだけと考えた方が良さそうです。

 このように、油屋が出版に関わった書籍は鳥取藩士の、それも特に藩校関係者の編著書が多いことが分かります。これは、鳥取で書籍を出版するほどの教養があるのが藩校関係者に限られていたという事情もあったのでしょう。

 また、油屋と藩との関係について、もう一つ興味深い事例があります。

 文久2年10月、油屋は印刷出版の経費として、藩から350両を借用することを願い出て、200両の借用を認められています(注13)。この結果刊行されたのがどのような書籍なのか、詳細は分かりませんが、油屋の出版活動には藩が密接に関わっていたと言えるでしょう。

おわりに

 以上のように、油屋の本屋としての活動を見る限り、書籍の販売面でも出版の面でも藩との関わりが重要であったことが分かります。これは江戸、京都、大坂といった大都市において、同業者組合である本屋仲間を結成することで独自の権益を守ろうとした本屋とはまた違った、地方の城下町の本屋の姿を示しています。


(注1)黄表紙―江戸後期に出版された通俗的な絵入り小説。

(注2)武鑑―江戸時代に刊行された大名や幕府役人の名鑑。

(注3)『鳥取藩史』第3巻「学制志 二」(鳥取県立鳥取図書館、1970年)P.392。

(注4)『鳥取市史』(鳥取市、1943年)P.401。

(注5)鳥取県立博物館蔵鳥取藩政資料「町年寄御用日記」元治元年6月28日条。

(注6)「町年寄御用日記」嘉永3年4月6日条、4月7日条、4月27日条、鳥取県立博物館蔵鳥取藩政資料「家老日記」嘉永3年4月27日条。

(注7)「家老日記」慶応元年2月24日条。

(注8)油屋仲蔵が「御書物御用聞」として「家老日記」に現れるのは、前述のとおり嘉永3年が初出で、嘉永3年から慶応元年まで16年となるため計算が合わないが、詳細は不明である。

(注9)「油屋仲蔵と申す者、本屋ならびに筆墨商売にて…」(「家老日記」安政5年7月21日条)。

(注10)(2)(5)(7)―鳥取県立図書館蔵、(3)―国文学研究資料館蔵、同館所蔵和古書・マイクロ/デジタル目録データベース(https://kokusho.nijl.ac.jp/)にて閲覧、(4)(6)―早稲田大学蔵、同大学古典籍総合データベース(http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/index.html)にて閲覧、(1)―刈谷市中央図書館村上文庫蔵、国文学研究資料館日本古典籍総合目録データベース(https://kokusho.nijl.ac.jp/)にて書誌情報のみ閲覧、(8)筑波大学附属図書館蔵、同館蔵書検索システム(https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mytulips/)にて書誌情報のみ閲覧

(注11)跋(ばつ)―あとがき。跋が書かれた年が嘉永5年であることからも分かるとおり、『類題稲葉集』の編集は嘉永5年に終わっていたが、刊行されたのは安政3(1856)年であったという(『鳥取県史』第5巻、鳥取県、1982年、P.91)。

(注12)「名和氏紀事」出版の際に藩校からその経費を支出していた記録がある(『鳥取藩史』第3巻「学制志 二」P.392)。なお、「学制志」には「呉子解・司馬法解等、学館の蔵版なりしと云ふ、これを詳かにし難し。」とあり、(7)「呉子解」(8)「司馬法解」も藩校が出資している可能性がある。

(注13)「家老日記」文久2年10月27日条、「町年寄御用日記」文久2年閏8月27日条、9月11日条、9月29日条、10月27日条、10月29日条。

(渡邉仁美)

資料紹介【第6回】

横浜市八聖殿郷土資料館所蔵のムギコキ

ムギコキの写真 

  11月11日に横浜市八聖殿郷土資料館(横浜市中区)で行った資料調査 で、「倉吉」という焼印がある倉吉市で製作された千歯扱きが所蔵されていることがわかりました。この千歯扱きは横浜市金沢区柴町、金沢文庫で有名な称名寺や遊園地がある八景島の近くで使用されたもので、現地名は「ムギコキ」とあります。

 倉吉の千歯扱きは、通常、刃(穂)が17、19、21本などの奇数ですが、このムギコキは刃数18と偶数であり、また倉吉の千歯扱きは麦用が少ない印象を持っていたので違和感を感じました。よく調べて見ると、この千歯扱きは刃を台木に打ち直して刃を1本ほど減らし、稲用の刃の間隔1.5ミリ程度から、麦用の3ミリ程度に改良したもののようでした。

 しかも形態的な特徴から、この千歯扱きは江戸時代末ころの大変古いものと推定されます。そのような古い時代に倉吉から横浜に売られて、さまざまに改良されつつ今日に伝わった資料との出会いはうれしく、また不思議に感じました。

(樫村賢二)

活動日誌:2013(平成25)年10月

1日
資料編執筆交渉(岩美町役場、湯村)。
2日
遺物借用(倉吉市、湯村)。
3日
史料返却(米子市立山陰歴史館、渡邉)。
5日
佐治谷話フォーラム(鳥取市佐治町、樫村)。
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、渡邉)。
6日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、渡邉)。
7日
古墳測量入札(公文書館会議室、廣東・湯村)。
10日
民具調査(北栄町歴史民俗資料館、樫村)。
第2回近代現代合同部会(公文書館会議室)。
資料調査(公文書館会議室、前田)。
11日
遺物返却(大山町教育委員会、湯村)。
部会打合せ(鳥取大学、湯村)。
15日
古墳測量の現地協議(小枝山12号墳ほか現地、湯村)。
17日
民具調査(北栄町歴史民俗資料館、樫村)。
18日
史料調査(鳥取市、岡村)。
19日
鳥取県・龍谷大学連携講座(大阪市、岡村)。
21日
史料調査(公文書館会議室、渡邉)。
近世部会(公文書館会議室)。
23日
考古部会(公文書館会議室)。
24日
民具調査(北栄町歴史民俗資料館、樫村)。
28日
遺物返却及び資料調査(米子市埋蔵文化財センター、湯村)。
史料調査(~31日、防府・福岡・佐賀・熊本、岡村)。
31日
第43回全国都道府県史協議会(~11月1日、山口市、岡村・前田)。
民具調査(北栄町歴史民俗資料館、樫村)。
遺物返却(倉吉博物館、湯村)。

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編集後記

 秋も深まってきました。今回の記事は、読書の秋にちなんで江戸時代、鳥取の本屋についてです。幕末、鳥取城下に本屋が4軒であったという事実からは、本は庶民にとって今ほど身近な存在で無かったこと感じさせられます。今日では、本屋のみならず、コンビニエンスストア、またインターネットでも本は購入できます。多くの本があり、入手方法も多様になりましたが、良い本との出会いは楽しいものです。我々も本を編さんする事業に従事していますが、我々が刊行する本が、手に取る人々に喜んでいただけ、役立つものになるよう励みたいと思います。

(樫村)

  

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