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目次

曙光の時代-鳥取県の旧石器時代、縄文時代初頭の様相

旧石器時代とは

 考古学の時代区分で最も古い時代を旧石器時代といいます。人類文化の発展段階を示す時代区分として、1836年にC.トムセンが石器時代、青銅器時代、鉄器時代の3時代区分を提唱しました。1865年にはJ.ラボックが石器時代について絶滅動物と打製石器を特徴とする旧石器時代と、現生動物と磨製石器を特徴とする新石器時代に区分しました。その後、新石器時代の定義に土器の発明や農耕・牧畜の開始といった要素が加えられましたが、研究が進むにつれて世界各地の石器時代は地域によって異なる様相を示すことが明らかになりました(注1)

 我が国では旧石器時代に続く時代を縄文時代と呼び、土器の出現をもって画期としますが、土器の使用が始まっても旧石器的な石器を使用し、定住化が果たされていない段階を縄文時代草創期と呼称しています。

最古の石器文化の探求

 鳥取県においても最古の時代を探求する試みは行われてきました。鳥取県は1921(大正10)年に県下の遺跡調査を行い、京都帝国大学の梅原末治氏がその任に当たりました。その成果は『鳥取縣史蹟勝地調査報告』として著され、その第一冊『鳥取縣下に於ける有史以前の遺跡』(大正11年刊行)では県下の石器時代の遺跡、遺物についてまとめられています。その中には宇田川村(現米子市淀江町)中西尾、大山村(現大山町)坊領、高麗村(同)荘田発見の「石槍」が報告されています。これらは今日的にみれば縄文時代草創期の尖頭器あるいは有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)(注2)と呼ばれる石器であり、この時代の遺物は早くから知られていたことが分かります(写真1)。

尖頭器の写真
(写真1) 『鳥取縣史蹟勝地調査報告』に掲載された尖頭器
(上段右から淀江町中西尾、大山町荘田2点、大山町坊領)

大山山麓の尖頭器

 1949(昭和24)年、群馬県岩宿(いわじゅく)遺跡の調査により日本にも旧石器文化が存在したことが明らかとなり、山陰地方でも最古の時代の遺跡について関心が寄せられるようになりました。 1971(昭和46)年、鳥取県立科学博物館(当時)の亀井煕人氏は県下で採集された尖頭器(8地点、10点)を報告し、これらが大山山麓に多いことを示唆しました(注3)。この分布の傾向はその後の研究でも追認され、1998(平成10)年、根鈴輝雄氏(倉吉博物館)が行った尖頭器の集成では、山陰両県で知られている49点の尖頭器のうち34点が鳥取県のもので、そのほとんどが大山山麓に集中することが示されています(注4)(図1、写真2)。

尖頭器出土地の図
(図1)山陰地方の尖頭器出土地(根鈴1998より転載)
尖頭器
(写真2)有舌尖頭器
(上段右:大山町荘田 上段左:鳥取市浜坂 下段:伯耆町久古)
鳥取県立博物館提供

 この分布について説明することは困難ですが、尖頭器が槍先に装着されたもの、すなわち狩猟具であると考えられることから、大山山麓の火山灰台地が当時の主要な狩りの場であったことが想定されます。旧石器時代終末から縄文時代の初めにかけて本州ではナウマンゾウ、ヘラジカ、バイソンなどの大型哺乳動物が絶滅したとされています。したがって尖頭器を装着した槍の狩猟対象はキツネ、タヌキ、ノウサギ、シカなどの中規模程度の哺乳動物であった可能性があります。参考までに大山山麓は縄文時代と考えられる落とし穴が密集して見つかる地域でもあります(注5)。落とし穴の径は1m前後ですので、やはり中規模程度の哺乳動物を狩猟対象にしていたと思われます。

 これらの尖頭器はほとんどが地表で採集されたものか、本来包含されていた地層から遊離した状態で出土しているため所属時期を求めることは困難ですが、有舌尖頭器は他地域の例から縄文時代草創期に属するものと考えられ、それ以外の尖頭器も同じ時期か、場合によっては旧石器時代に遡るものが含まれている可能性があります。縄文時代草創期の年代については青森県大平山元(おおだいやまもと)I遺跡から出土した土器に付着していた炭化物が16,000年前と測定されていますが、今のところこの年代が突出した古さを示しているので、ここでは1万年をいくらか遡るものと理解しておきます。

発掘調査による旧石器の検出

 1990(平成2)年、倉吉市の中尾(なかお)遺跡の試掘調査で地表土であるクロボク直下から黒曜石製のナイフ形石器(注6)が出土しました(写真3)(注7)

中尾遺跡のナイフ形石器の写真
(写真3)中尾遺跡のナイフ形石器
倉吉博物館提供

 県下では初の発掘調査による旧石器の発見でした。翌年の本調査では旧石器の検出を目指して更新世(こうしんせい)堆積物である火山灰土の掘り下げが行われましたが、クロボクからナイフ形石器などが出土したものの、火山灰土から石器は出土しませんでした。

 どんな分野でもひとつの発見が契機となって新たな発見が相次ぐことがあります。2004(平成16)年、名和町(現大山町)の門前(もんぜん)第2遺跡の試掘調査でついに火山灰土の中から旧石器が出土しました。しかも姶良丹沢火山灰(略してAT)という、年代を決める鍵となる層の下からナイフ形石器を含む約130点の石器群が発見されたのです(注8)。さらに2011(平成23)年、同じ大山町内の豊成叶林(とよしげかのうばやし)遺跡からやはりAT下位から2箇所の集中地点に分かれてナイフ形石器を含む約270点の石器群が出土しました。

 ATは現在の鹿児島湾北部を噴出源とする火山噴出物で、日本列島全域だけでなく沿海州から朝鮮半島にまで降り注いだ広域火山灰です。その噴出年代は当初、21,000年前頃とされていましたが、現在では26,000~29,000年前と推定されています(注9)。つまり鳥取県における最古の人類痕跡は約30,000年前にまで遡ろうかということになるのです。

 このAT下位から出土した石器群はナイフ形石器を伴うことでは共通しますが、門前第2遺跡ではすべて黒曜石が、豊成叶林遺跡では1点の黒曜石を除き玉随(ぎょくずい)という石材が用いられていました。黒曜石は隠岐島産と考えられますし、玉随は島根半島から宍道湖南岸で産出します。ともに鋭く割れる性質を持ち、石器の石材として選択的に使用されたものです。門前第2遺跡や豊成叶林遺跡にその足跡を残した旧石器時代人は、獲物を追う遊動生活を続けながら石器の材料となる石材を補給していったのでしょう。

旧石器研究のフィールドとしての鳥取県

 私が集計したところ、鳥取県の旧石器時代から縄文時代草創期資料の出土地は66箇所に及びます。これからも新たな発見が続くことでしょう。鳥取県には大山(だいせん)がありますが、大山は約20,000年前まで活発な噴火活動を続けていました。その結果、県の中西部には複数の大山起源の火山噴出物が良好に堆積しています。こうした火山灰などにパックされて石器が出土すれば、それらの時間的な位置づけができます。またATが介在することによって他地域の石器群との比較が可能です。さらに県下にはいくつもの高原地形が認められます。旧石器時代人は山間部の尾根をたどりながら高原のような開けた場所を経由して遊動していたふしがあります。これまで多くの遺跡が見つかっている大山山麓に加え、こうした場所にも探索の目を向けることが必要でしょう。

新鳥取県史編さん事業の取り組み

 平成27年度に刊行を予定している考古資料編の第1巻には旧石器時代から弥生時代までの遺跡、遺物を掲載します。これに向けた資料調査の過程で新たな石器の発見もありました(例えば鳥取市六部山3号墳採集の有舌尖頭器など)。現在、尖頭器を中心に図化作業を進めており、「鳥取県のあけぼの」ともいえる旧石器時代から縄文時代草創期資料の再検討をしたいと考えています。


(注1)我が国では後期旧石器時代初頭から磨製石器が認められますし、土器の使用が始まっても恒常的な農耕や牧畜は伴っていません。

(注2)尖頭器は槍の先端に装着されたと考えられるもの。有舌尖頭器は柄に取り付けるための突出した基部をもつことからこの名がある。有茎尖頭器ともいう。

(注3)亀井煕人1971「鳥取県の石槍-尖頭器(ポイント)の場合-」『郷土と科学』17-1

(注4)根鈴輝雄1998「山陰の尖頭器」『考古学ジャーナル』435

(注5)中原斉1999「第3章縄紋時代」『新修米子市史』

(注6)石の破片の一端が尖るように加工された石器。ナイフ形石器という名称が付されているが、主要な機能は槍先だと考えられている。

(注7)倉吉市教育委員会1992『中尾遺跡発掘調査報告書』

(注8)名和町教育委員会2005『名和町内遺跡発掘調査報告書』

(注9)町田洋・新井房夫1992『新編火山灰アトラス-日本列島とその周辺』

(湯村 功)

資料紹介【第8回】

栃の皮へぎ(東伯郡三朝町)

栃の実の皮を剥ぐ道具の写真 

 栃の実は、かつて不足する米を補うための重要な食料でした。しかしアクが強い栃の実は、そのままでは食べることは出来ず、皮むき、流水ににつけるアラヌキ、そののち特別な木の灰とともに煮るアクヌキなど多くの工程を経てやっと食べることができます。今回紹介するのは、最初の皮むき作業に使う「皮へぎ」です。昔から自分の使いやすいように自作するもので、この使用者のSさん(東伯郡三朝町)が製作しました。

栃の実の皮を剥ぐ様子、その1の写真
皮へぎで煮た栃の実の皮を剥ぐ様子。
栃の実の皮を剥ぐ様子の写真
取っ手と台木の間に栃の実をはさみテコの力で皮を剥ぎます。

 栃の実の皮は、煮て熱いうちは剥きやすいですが、冷えると剥けなくなるため、手際よくしなければなりません。またアクで手が荒れて大変な作業です。使用法は、斜めにこすりつけるようにすると、実が潰れずに皮だけが剥けるそうです。

栃餅の雑煮の写真
正月の小豆雑煮にした栃餅は郷土の味として今も人気があります。

活動日誌:2013(平成25)年12月

1日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、渡邉)。
4日
民具調査(北栄町歴史民俗資料館亀谷収蔵庫、樫村)。
5日
古墳の現地確認(城山10号墳及び小枝山12号墳現地、足田・湯村)。
史料調査(湯梨浜町、岡村)。
民俗・民具調査(大山町・大山町教育研究所、樫村)。
資料調査(智頭町中央公民館、前田)。
6日
史料調査(米子市立山陰歴史館、渡邉)。
7日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(鳥取県立博物館、渡邉)。
8日
出前講座(湯梨浜町図書館、岡村)。
10日
遺物借用(鳥取県立博物館、湯村)。
史料調査(境港市史編さん室、岡村)。
11日
遺物返却及び借用(藤井政雄記念病院、湯村)。
12日
史料調査(前橋市、岡村・渡邉)。
千歯扱き調査(北栄町歴史民俗資料館亀谷収蔵庫、伯耆町民具収蔵庫、樫村)。
13日
中世文書撮影(東京大学史料編纂所、岡村)。
史料調査(熊谷市、渡邉)。
19日
資料調査に係る協議(米子市教育委員会、湯村)。
遺物借用(米子市埋蔵文化センター、湯村)。
民具調査(北栄町歴史民俗資料館亀谷収蔵庫、樫村)。
24日
遺物返却及び借用(鳥取県立博物館、湯村)。
26日
資料調査(~27日、防衛省防衛研究所、前田)。
遺物返却(鳥取県立博物館、湯村)。
27日
古墳測量図の現地校正(城山10号墳及び小枝山12号墳現地、湯村)。

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編集後記

 今回の記事は、鳥取の旧石器時代がテーマです。槍先に装着された尖頭器は、狩猟具であると考えられ、その発見された場所が大山山麓に集中するとあります。昨年、大山町の山麓に住む方から、ヤマドリやウサギなどの狩猟についてお話をうかがいました。大山山麓で尖頭器が発見されるということは、現代の狩猟で発射されたライフル銃の弾頭が、1万年先の未来に発見されるようなことと考えるとものすごいことです。そして偶然と熱意、努力の積み重ねが、数万年昔の人々の暮らしを明らかにしていく考古学者はまさに名探偵のようです。一方、民具研究では、今回の資料紹介のように目の前で使われる道具について調査するわけですが、目の前の物、行為であってもそれを理解し、記録化することは容易ではありません。結局、学術研究の成果は熱意と努力なくして生まれないのでしょう。

(樫村)

  

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