写真1 とうふちくわ 写真提供 鳥取県
とうふちくわとは
とうふちくわは、豆腐と白身魚を主原料とします。鳥取県鳥取市で製造され、県東部(因幡地方)で一年中、日常的に食されています。鳥取市は総務省「家計調査」において都道府県県庁所在地別「他の練製品」(魚が主原料の竹輪やかまぼことは別になる)において2012(平成24)年は全国1位、2016(平成28)年は全国3位になるなど、練り物消費が多い地域です。とうふちくわは、その中でも特に地域に根ざし親しまれています。しかし鳥取県外、また鳥取県の東部以外ではとうふちくわは一般的ではなく、知らない方も多いのが現状です。
食味としては、原料からも想像できるように非常に淡泊であり、癖がありません。食感が魚を主原料とし焼いて調理される一般的な竹輪と異なり、主流は蒸して調理されるため表面が滑らかで、肉厚なこともありもっちりした歯ごたえ、滑らかな食感、白く美しい姿も特徴です。
とうふちくわの由来
とうふちくわの起こりは、岡山城主であった池田光仲が1648(正保4・慶安元)年に鳥取藩主に転封になった時、質素倹約のため領民に豆腐食を奨励し、竹輪に関しても魚を贅沢としたためとうふちくわが普及したという俗説が流布しています。
しかし長く農村では豆腐自体は祝い事に合わせて作られ食されるハレの食材、贅沢な食品であり、製造も安易ではありません。そのハレの食材である豆腐をさらに加工するとうふちくわは、本来贅沢な食品であり、江戸時代、幕府からの巡検使に出されるようなおもてなしのための食品でした(後述)。
技術伝承の由来、口伝
前述のように、とうふちくわの発祥は一般に池田光仲と関連づけて語られていますが、文献で確認できる初出は1761(宝暦11)年3月「御巡見様御用書留控」(倉吉博物館蔵:『新鳥取県史 資料編 近世1 東伯耆』(鳥取県、2012)759頁)です。倉吉(現鳥取県倉吉市)の町年寄等をつとめた中村家に残された文書で、これは渡邉仁美「幕府の役人も食べた『とうふちくわ』」(『第73回県史だより』2012年、鳥取県立公文書館県史編さん室)に詳しく記載されています。「御巡見様」とは、幕府が将軍の代替わりごとに諸国に送った巡見使のことで、在地の民衆を監察し、政治の善悪や物価、治安などの調査を行いました。宝暦11年には阿部内記、杉原七十郎、弓気多源七郎の3名が訪れましたが、倉吉に到着した巡見使の中で阿部内記の3月28日晩の献立においてとうふちくわが、味噌汁の具として使われています。この時、阿部内記の分だけ精進料理とするよう申し入れがあったため、このような献立となったとあり、おそらくこのとうふちくわは豆腐だけで白身魚のすり身は入っていないと思われます。
おもてなしに食されるようなとうふちくわ製造技術は、容易ではありません。現在も一般家庭で製造されることはほとんど無く、ちくわ業者が製造しているのはそのためです。
このように江戸時代から鳥取で食されてきたとうふちくわは、今日では日常的に総菜、おやつとしても食されていますが、古くはおもてなしの料理であり、ハレの食べ物でした。
とうふちくわの分布
現在、とうふちくわは鳥取市を中心に製造され(松江市にても製造されている)、消費も鳥取県東部(因幡地方)が中心となっています。魚肉が主原料で焼いて調理される一般的なちくわに比較して、とうふちくわは賞味期間が短くなります。常温で1日、冷蔵保存でも3日が限度とされます。このことから山陰地方では一般的なアゴ(トビウオ)を原材料としたアゴ竹輪が、島根県から鳥取全域に広く知られ製造、消費される状況となっており、とうふちくわは製造が県東部の鳥取市にほぼ限定され、消費もそれに準じ近隣となっています。県東部のスーパー、個人商店では練り物コーナーに必ずとうふちくわが見られますが、西部地方では近年まで存在を知らない人もいる程度で、郷土食、お土産として注目されるようになり流通のスピード化が進んだ結果、県西部でも若干販売されるようになり、消費もある程度広がったようです。
原材料について
原材料は「豆腐」と「魚肉のすり身」です。それに味付けと弾力性の強化のために塩が使用されます。
豆腐は、木綿豆腐を使用し、とうふちくわの中心である豆腐の味がとうふちくわの味を大きく左右するために、とうふちくわ製造者が自ら木綿豆腐を製造していることもあります。魚肉のすり身は、特定の魚種はなく、かつては地元山陰沖の魚を使用し、とうふちくわの製造者が魚をさばいてすり身にしていましたが、近年はすり身に加工済みの国内産の魚を使用し、相場によっては輸入白身魚のすり身も使用しています。
加工について
大まかには原材料の豆腐と魚のすり身、塩を混ぜて細い竹(現在はアルミの棒)にちくわ状につけて蒸します。
豆腐と魚肉の割合は、製造者によって7対3、4対3、1対1など様々です。
特徴としてちくわは通常、焼くことによって製造しますが、とうふちくわの主流は蒸すことで製造します(焼きとうふちくわも存在する)。
50年くらい前までは手作業による製造でしたが、現在は機械で行っています。工程は以下となります。
1.通常の木綿豆腐を製造します。
2.木綿豆腐を布で巻き、一晩以上圧力を加えることで水分を絞ります。
3.水分を絞った木綿豆腐と魚のすり身を合わせて練ります。さらに塩を加えて練りの硬さを確かめながら水分調整をし、40分くらい練り込みますと、ツヤと粘りがでてきます。
4.機械でアルミ棒に巻き付いたちくわに成形し、15分程度蒸します。また蒸し前に軽く火であぶる場合もあります。
以上のように「練り」→「ちくわの成形」→「蒸す(焼く)」の大きな行程にあります。
とうふちくわの製造工程
写真2 にがりを入れた豆乳を豆腐の型に入れる様子
2017年2月6日 加路屋(鳥取市元魚町)にて撮影(以下同)
写真3 固まった豆腐を切り分ける様子
写真4 原料の撹拌と練りが進む様子
写真5 ちくわに形成された様子
写真6 とうふちくわを蒸し器に入れる様子
写真7 焼きとうふちくわを製造する様子。焼きは蒸しよりも生産量が少ないです。
写真8 冷却されたとうふちくわを包装し、出荷します。
食べ方
今日でも日常的に一般家庭で食されています。1本に約豆腐1丁が使用され、県東部のスーパーの練り物コーナーで1本100~150円程度で販売されています。家族で1本ではなく、1人1本という感覚も普通です。食す方法は様々で、輪切りにして、そのまま白い色で食べるべきという人もいますが、わさび醤油で食すことが定番です。普通の竹輪のように炒め物やサラダに入れるなど様々利用されますが、高度経済成長以前に幼少期を過ごし、肉がまだ貴重であった時にはカレーの具として肉の代わりにとうふちくわが入っていたという記憶を持つ方もいます。また酒のつまみにしたり、今日でも小腹が空いたときにそのままとうふちくわ1本をおやつとして丸かじりしたりすることも珍しくなく、鳥取城のお堀端のベンチで読書をしながらとうふちくわを丸かじりする若い女性を目撃したこともあります。
とうふちくわの変容
豆腐と白身魚を原料とした練り物で、製造が機械化しても方法や形状などに大きな変容はありません。しかし近年、広く一般的な食品であるが故にとうふちくわに様々な変わり種が誕生しています。ネギ、ショウガなどの薬味を練り込んだもの、カレーの消費量が多い鳥取ならではのカレー風味なども存在します。
そのまま食すことが基本とされながらも、とうふちくわを素材として、揚げ物や炒め物、煮物などさまざまな料理が家庭や飲食店で考案されています。
日常に溶け込む特色ある郷土食
とうふちくわは広く一般的な食べ物として地域に根付いており、現状では深刻な技術伝承の問題点や文化財として保護されるべき状況には至っていません。
製造は一般家庭ではなく、大小はさまざまながら食品会社が担っており、機械化されているものの基本的な製造方法は継承されています。しかし豆腐と白身魚のすり身をちくわ状に形成加工した練り物という以外、しっかりした定義があるわけではなく、緩やかな定義の中で継承されています。また一年中、鳥取県東部を中心とした各種スーパーマーケットにも行き渡っており、文化財としてはおろか日本列島において極めて特徴的な郷土食という認識を持っている方は少ないでしょう。
以上のように技術伝承についてはすぐさま危機感をいだく状況ではありませんが、平成15年には7社存在した鳥取県内の製造事業者は、平成28年には5社になってきており、決して安泰というわけではありません。また実際は原料の確保や製造は安易でないにもかかわらず庶民のファーストフードという感覚が安い価格のイメージを定着化させ、製造事業者の経営を圧迫している現状も見られます。
ただしとうふちくわを広報し、研究する市民グループ「鳥取とうふちくわ総研」(平成15年2月設立)もあり、「ご当地グルメでまち おこしの祭典!B-1グランプリ」に参加するなどとうふちくわをめぐる積極的な普及活動もみられ、一般的な食品から鳥取の「特産品」として認識を変化させようという努力がなされています。県外に居住する鳥取県東部出身者の人々にとってとうふちくわは郷愁をさそう郷土食であり、鳥取県東部の人々にとって極めて身近であるが故に文化的価値をしっかり認識するのは、これからと思われます。
(樫村賢二)
1日
史料調査(鳥取市歴史博物館、八幡)。
資料調査(淀江傘製作用具、淀江傘伝承館(米子市淀江傘)、樫村)。
3日
資料調査に関する協議(鳥取市元魚町、樫村)。
6日
とうふちくわ製造工程調査(鳥取市元魚町、樫村)。
8日
資料調査(淀江傘製作用具、米子市淀江町、樫村)。
15日
史料調査(鳥取市用瀬町、八幡)。
17日
資料調査(国立公文書館、前田)。
18日
資料調査(国立公文書館、国立国会図書館、前田)。
19日
資料調査(都立中央図書館、前田)。
20日
資料調査(国立国会図書館、前田)。
22日
資料調査(淀江傘製作用具)(淀江傘伝承館、樫村)。
「古記録編」にかかる聞き取り(智頭町個人宅、岡村)。
23日
資料調査(倉吉市長谷寺、岡村)。
24日
資料調査(松江市玉作湯神社、岡村)。
25日
資料調査(米子市八幡神社、岡村)。
「古記録編」口絵写真の再撮影(伯耆町善福寺、岡村)。
28日
資料調査(岩美町御湯神社、岡村)。
★「県史だより」一覧にもどる
★「第132回県史だより」詳細を見る