第141回県史だより

目次

民俗学・民具研究が現在の課題に答えるために

民具編について

 自治体史編さん事業において、「民俗編」は数多く編さんされ、その中に「民具」に関する記述も見られます。しかし「民俗編」から独立した「民具編」は数少なく、福島県の『只見町史 資料集 第1集 図説 会津只見の民具』(只見町史編さん委員会、1991)、岩手県の『川井村民俗誌 民具編』(川井村文化財調査委員会、2000)などが数少ない書籍になります。都道府県における自治体史において2019(平成31)年3月刊行予定の『新鳥取県史 民俗2 民具編』は、民具を取り上げる一冊として新たな成果となるはずです。

民具研究と社会経済史的背景

 民具とは、民衆(常民)の日常生活における諸要求によってつくられ、長い間使用されてきた道具や器物の総称で、渋沢敬三(民俗学者・第16代日本銀行総裁・大蔵大臣)によって提唱された学術用語です。1937(昭和12)年に出版された『民具問答集』の巻末付録には「民具蒐集調査項目」があります。これにより今日まで民具研究と文化財行政に活用され続けている民具の定義と以下の分類が示されました。


一 衣食住に関するもの
二 生業に関するもの
三 通信・運搬に関するもの
四 団体生活にかかわるもの:若者宿の道具や地割道具を含む
五 儀礼に関するもの
六 信仰・行事に関するもの
七 娯楽・遊戯に関するもの
八 玩具・縁起物

 渋沢を中心とするアチック・ミューゼアム(のちの日本常民文化研究所。現在は神奈川大学日本常民文化研究所)の戦前の報告書等には「経済史」「社会経済史」という言葉が散見されます。渋沢は愛知県の奥三河に伝承される民俗芸能を記録した早川孝太郎の『花祭』(早川、1930)について、高い評価をしつつ、「早川君の花祭の力作はどこまでも感心するが、自分に物足らぬ感じが今なおしているのは、この行事に対する社会経済史的な裏付のなかったことである」(渋沢、1933)とします。また、早川の著書『花祭』の再刊にあたって、渋沢はそれに寄稿した文章には、「本著の出現で早川さんの民俗学における能力は高く評価されましたが、いろいろ話し合っているうちに、花祭の奥に、また基底にある宗教学的または社会経済史学的、更には農村地理学的面についての解明に不充分な点も感じられた」(早川 1958)とあり、「社会経済史」という面に不足があったことを繰り返し指摘しています。

 この渋沢敬三の「社会経済史」というキーワードは、そのアチック・ミューゼアムにおける民俗学、民具研究にも大きな関係があると考えられます。それは人々が1年の大半をイエ・ムラなどの社会単位における経済活動、つまり「暮らし」のための労働に従事しており、その「暮らし」があってこそ1年365日の内の数日である「花祭」のような祭事・芸能が生まれ、維持されてきたという渋沢の考えがあると思われます。その「花祭」を支える日常の「暮らし」が明らかにならなければ、モノグラフ(民俗誌)としては不完全ということです。

 渋沢らの民具分類がイエとその消費経済に関わる「一 衣食住に関するもの」を最初とし、次に生産経済に関わる「二 生業に関するもの」と最初に配置したことは、その経済重視を示すものです。

 15年くらい前になりますが、社会人類学・民俗学の専門家である津波高志先生(現琉球大学名誉教授)が、韓国済州島の海女調査をされたあと、ソウル市内にある当時の私の勤務先(ソウル市にある中央大学校)に立ち寄られました。その時に同席した我々は以下のような助言をいただきました。

社会組織でもっとも小さく基本になるのは家族だ。衣食住が整い、仕事があり家族が暮らせなければ民俗文化など生まれないし、継承もできない。まず家族がどのようにして暮らしているのか理解しなければ、民俗文化をしっかり捉えることはできない。

 津波先生は何気ない話のつもりであったかもしれませんが、印象に残りました。家族は社会であり、衣食住と仕事は経済にあてはまり、人は家族を守り養うために経済活動しており、まずその核を捉えるべきという考えと、まず社会経済史を捉えるべきという渋沢の教えは共通すると思っています。

民俗学・民具研究の役割

 既刊の『新鳥取県史 民俗1 民俗編』においても「社会組織」「生業」について取り上げていますが、鳥取県における民俗の社会経済をしっかり捉えることができたとはいえないと思います。それを補強するのが『民俗2 民具編』と考えています。渋沢が苦言を呈し、宿題とした民俗文化における社会経済史的背景を明らかにするという答えは、民俗学そして民具研究においてもおそらくまだ渋沢を納得させられるレベルに達していないでしょう。

 この状況を意識していたとき、ある新聞記事に目が留まりました。筑波大学大学院教授(歴史学)の古田博司先生が執筆した記事です(古田、2017)。古田先生は、今日、学問として人文系が生き残ることが難しくなっており、勤務する大学などでは、文系の人文社会科学はのけもの扱いで、その理由は知識を教えることしかしてこなかったからといいます。そんなものはもうネットで簡単に手に入り、今を説明できる歴史学でなければ、その研究者の懐古趣味で終わってしまう世の中になったといいます。その上で、将棋の羽生善治さんが、「分かっていることに対する答えや予測は、どう考えてもAIの方が得意です。残されている『分からないもの』に対して何をするのか、が問われます。それは若い人たちだけにかぎらないと思います」(月刊『正論』2017年11月号)という発言に共感しています。

 つまりネットではわからないような現在の課題に立ち向かい、説明できるようになることが必要ということです。これは民俗学や民具研究にも当然当てはまることです。鳥取県の現在は少子高齢化、若者の県外流出による人口減少が問題となっており、民俗文化の消滅も目の当たりにしています。若者の県外流出はより収入を得て経済的基盤を安定させ、その上で自分の家庭を築く生活を考えた場合、県外都市部に可能性と希望を抱く現実があるからでしょう。鳥取県での暮らしにおいて民俗文化を支えている社会(イエなど)、経済(衣食住・生業)に不安を抱く若者たちその家族に何をするのか、できるのかが問われているといえます。

鳥取県内の山間集落の倒壊した家屋の写真
写真1 鳥取県内の過疎集落の倒壊した家屋
豪雪地帯では人が住まなくなるとすぐ雪の重みで倒壊してしまう。
田畑が放置され荒れてしまった様子の写真
写真2 過疎集落の田畑が放置され荒れてしまった様子
平成17年に人口7人であったこの集落は、
現在、国勢調査小地域集計において人口、世帯数が極めて少ない集落として
「秘匿地域」として数値が非公表となった。
平成27年の国勢調査小地域集計では鳥取県内に「秘匿地域」が89集落あり、多くは廃村に近い状況にある。

 そのような中、次はガイナーレ鳥取の森岡隆三監督の記事に目が留まりました(寺野、2018)。2017年、森岡監督のガイナーレ鳥取はJ3最下位に終わりました。森岡さんは、監督就任前から人口は少ない、企業が少ない、地の利もあるとは言えないなど鳥取が難しい環境なことは承知していたそうです。しかし監督になりました。鳥取県は、ないない尽くしですが「しょうがない」とは諦めません。皆で意見や知恵を出し合えば『仕様はある』はずで、サッカーで得られる喜びや楽しさ、サッカー文化を鳥取に根付かせたいといいます。

 ないない尽くしの鳥取において、創始者である柳田國男が「世のため人のため」の学問とした民俗学、そして同じく創始者の渋沢敬三が社会経済史を重視した民具研究においても鳥取県の問題に取り組む姿勢、答えが求められています。ガイナーレ鳥取のような地域サッカークラブと民俗学・民具研究、歴史学は分野は大きく違いますが、地域の同じような問題の中にあり、地域の問題に立ち向かい貢献することがその存在意義につながるという同じ状況にあります。

武士は食わねど高楊枝

 プライドがあっても食べなければ生きていけません。自給自足といいますが、これもほぼ不可能でお金がなければ最低限の文化的生活も不可能でしょう。結局は「金」が必要という絶対的な現実があります。鳥取県の急速な人口減少の緩和ではなく、しっかり歯止めをかけ増加に転じさせるには、大きな産業の育成・誘致が絶対不可欠でしょう。

 では民俗学・民具研究は何ができるのでしょうか。民俗学は古いことを記録に残すだけの学問と思う方も多いと思います。しかしかつては鳥取県岩美郡出身の民俗学者で画家、社会主義活動家の橋浦泰雄のように、封建的、前近代的で個人を抑圧するような家族制度や社会組織を調査研究することで、個々の人々が幸せに暮らせる新しい家族制度や社会組織に変化させようという活動もありました(橋浦、1941)。このような地味ながら社会の問題点を見つけ、解決していく方法もあります。また鳥取県と島根県にまたがる中海でかつて行われてきたモバ(藻葉)とばれる海藻(草)を採集し肥料とした循環型の農業経営(樫村、2011・2014)、県内の林業と複合的な生産活動として杉林などで栽培されてきた黄連(オウレン)という薬草栽培と加工産業(樫村、2017)、これらについて方法や道具類の情報提供、伝統産業の価値づけを行い復興に貢献することもできるでしょう。結局は小さいことの積み重ねですが、それを意識して地道な活動が必要と思います。

 今日まで人文系学問があぐらをかいていたように受け止められがちなことを素直に受け止め、反省すべき点があると思います。民俗学・民具研究、歴史学、そして県史編さん事業が果たすべき地域貢献について今後もしっかり考えていくことが必要です。

《参考文献》
川井村文化財調査委員会 2000『川井村民俗誌 民具編』川井村教育委員会

樫村賢二 2011『鳥取県史ブックレット9 里海と弓浜半島の暮らし-中海における肥料藻と採集用具-』鳥取県

樫村賢二 2014『有明海及び中海の里海としての利用慣行 常民文化奨励研究調査報告書第21集』神奈川大学日本常民文化研究所

樫村賢二 2017「鳥取県智頭町の黄連採集加工用具について(その一)」『民具マンスリー』49巻11号 神奈川大学日本常民文化研究所

樫村賢二 2017「鳥取県智頭町の黄連採集加工用具について(その二)」『民具マンスリー』50巻7号 神奈川大学日本常民文化研究所

只見町史編さん委員会 1991『只見町史 資料集 第1集 図説 会津只見の民具』只見町

寺野典子(「JリーグPRESS」)「森岡隆三監督が体感したJ3の実態。限られる予算とバス移動10時間」『Number Web』2018年1月4日

渋沢敬三 1933 「アチックの成長(1933 年9 月記)」『祭魚洞雑録』、郷土研究社。(『渋沢敬三著作集』第1 巻、1992、平凡社)

橋浦泰雄 1941『日本民俗学上より見たる我国家族制度の研究』(『家族・婚姻研究文献選集』11巻、クレス出版, 1999)

早川孝太郎 1930 『花祭』岡書院

早川孝太郎 1958 『花祭』岩崎書店

古田博司 2017「なぜ韓国の文化は「ウリジナル」なのか?「『分からないもの』に対して何をするかが問われている」 羽生善治さんの至言が示す人文科学の危機」」『産経新聞』2017年11月7日

(樫村賢二)

活動日誌:平成29年12月

3日
「古記録編」刊行記念講演会(県立博物館講堂、岡村)。
4日
史料閲覧(県立博物館、岡村)。
6日
民具調査(炭焼き道具、日南町、樫村)。
9日
第7回占領期の鳥取を学ぶ会(やまびこ館、西村)。
10日
史料検討会(公文書館会議室、八幡)。
13日
資料調査(炭焼き道具、日南町、樫村)。
21日
県史ブックレットにかかる協議(鳥取大学、岡村)。
22日
民具調査(目録と原資料の確認、琴浦町教育委員会他、樫村)。

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編集後記

 平成30年となりました。新鳥取県史編さん事業は平成31年度に資料編全23巻として一区切りつけることになります。事業期間は残り2年程度となったことになります。そのあとに、この事業の成果や収集資料の利活用を促進していくことになりますが、ここからが重要だと思います。柳田國男が言ったように学問は「世のため人のため」にあるべきで、自治体史編さん事業も同じです。「世のため人のため」という柳田思想をのちに中国古典の語で「経世済民」と表現するようになります。この語は「経済」の語源になりましたが、かつては「Economy」よりも広義で政治・統治・行政を統合するような意味だったようです。銀行経営に携わり大蔵大臣にもなった渋沢敬三は民俗学において社会経済史を重視しましたが、同時代に民俗学を志した柳田と渋沢の思想が広義の「経済」に収斂されるのは偶然なのでしょうか。

(樫村)

  

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