K-2 登山橋 伯耆町長山
橋梁:鉄筋コンクリート造・単連・無ヒンジアーチ橋
昭和9年3月(親柱銘)
登山橋は、溝口警察署から町道溝口金屋谷線を大山方向へ約500m進んだ、大江川の深い谷間に架かる橋梁である。昭和5年頃の写真を見ると、木造のつり橋であったことが伺える。登山橋の呼称は大山登山の為に設けられたことによるもので、現在でも溝口警察署の前に大山正面登山道の道標が残されている。
施工は米子市の菊池組が請負い、昭和8年8月25日に着工し使用人員は延べ7,147人と工費32,400円を費やし、橋長63.0m幅員5.5mの鉄筋コンクリート造・単連・無ヒンジアーチ橋が完成した。竣工式は昭和9年6月10日に行われ、式には県知事をはじめ県の各関係者、地元町長、地元小学校生徒等が参列した。
当時、この橋の長さ高さは全国有数のものであり、関西一の大きなアーチ橋であった。しかしその為、関西に類例がなく非常に技術を要するものであり、しかも大江川の深い谷間に架かる高橋であった為に非常に難工事であった。この橋を参考に、同型である若桜町の若桜橋は建設されたと思われる。
大山登山者は年々増加し、登山シーズンになるとこの付近にある伯耆溝口駅で下車する登山者が竣工時は1ヶ月間に約1,600人いた。おそらくこの多くの人達が、大山正面登山道の玄関口でもあるこの登山橋を利用し大山を目指したと思われる。
現在は、溝口ICのアクセス道が出来て旧道となったことで交通量は激減した。しかしながら、親柱と高欄が橙色になったことと、アスファルト舗装になった以外は当初の写真を見ると姿はそのままである。