防災・危機管理情報


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P-2 酒津漁港 鳥取市気高町酒津
防波堤:「旧第1波止」捨石積防波堤 明治20年
   :「旧第2波止(川本波止)」捨石積防波堤 大正7年

酒津漁港は、「因幡の白うさぎ」で有名な鳥取市白兎海岸から約3km西方の海岸に位置する、第1種漁港である。
古書によると、『昔この付近には「かくれキリシタン」が多く、元和6年(1620年)にオランダの神父が漁船「樽丸」に乗って訪れたのがこの地である』とされており、「樽丸」が「酒樽」と変名し、海岸を意味する「津」と結びつけて「酒津」としたのが、地名の由来とされている。
当地は海岸の後背まで山が接近しているため砂浜が発達せず、漁港を築くのに適した条件であり、江戸時代には沿岸寄港地で鳥取藩の港にもなっていた。しかし、冬の強い北西の季節風による高波をまともに受ける海岸地形であるが故に長い間良港にならなかった。
近代化に向け、その第1歩を踏み出したのが「旧第1波止」の築造である。酒津漁港初の防波堤となる同波止は幅7~8m、長さ40m程度の捨石積防波堤で、明治20年に竣工した。
しかし、その後も強風・高波の被害は治まらず、港内における転覆事故がたびたび発生し、さらに明治23年11月には防波堤自体が壊滅状態になるほどの被害を受けたという。
そのような状況を耳にした当地出身の川本萬吉氏により、大正7年に築造されたのが「旧第2波止」(別名:川本波止)である。幅6m、長さ65mで「旧第1波止」の沖に造られた。これも捨石積構造であったと記録されているが、昭和60年頃全面コンクリートで覆われ、現在当時の姿を見ることはできない。現在のコンクリート提脇に積まれる捨石がその名残であれば、「旧第1波止」より二回り以上大きな巨石を使用していたことになり、相当な難工事であったことが想像できる。
私財を投じて防波堤築造にあたった川本氏は、「漁港修復の父」として伝えられ、「旧第1波止」には顕彰碑が建立されている。
また、大正11年には同じく当地出身の後藤竹次郎氏によって、「旧第1波止」に灯台が建設された(残念ながら今では基礎部を残すのみとなっている)。後藤氏はこのほかにも消防施設の整備など、地域振興に私財を投じたという。
その後、鳥取県が防波堤建設に取り組みを開始し、沿岸漁業の中堅漁港となるに至るのだが、それを支えたのは先人たちの愛郷の念にほかならないことを覚えておきたい。


平成17年の上空から見た酒津漁港の写真

酒津漁港旧第一波戸の写真

酒津漁港旧第二波戸の写真

昭和37年頃の酒津漁港の写真
  

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