K-7 千代橋 鳥取市古市
橋梁:鋼鉄製・16連・プレートガーター橋
昭和7年
千代橋は、鳥取市中心部の西を流れる千代川に架かっていたが、平成15年に現在の新橋がそのすぐ下流側に架けられた事で撤去され、現在は存在しない橋梁である。
施工は大阪府の間口組が行い、昭和6年11月19日に起工し使用人員は延べ27,000人と工費302,000円を費やして、橋長358.29m幅員7.5mの鋼鉄製・16連・プレートガーター橋が完成した。竣工式は昭和7年11月28日に行われ、式には県知事をはじめ内務大臣代理、県の各関係者、地元小学校生徒等が参列した。
鋼鉄橋の架かる前は、木橋で明治16年に架設され、その当時より鳥取市の中心部と市の南西部を結ぶ要衝にあり、交通運輸が非常に頻繁であった。しかし、明治26年に未曾有の大洪水に遭遇して流失し、翌年に再び架設した。その後も結局のところ、局部流失を繰り返して、その度に修繕していた。
こうした状況の中、商工業の発展に伴い近郊の産業経済は市の中心部に集まり、この木橋は車馬の往来も年々増加した。しかし、交通量の増加と長年風雨にさらされた木橋は腐朽が進み、度々交通止めになり住民は不便を被っていた。また、橋上の凹凸が激しく危険な為に鳥取警察署は、危険防止の標札を立てたりする等、何度も対策を講じていた為、「危険極まるボロ千代橋」とまで呼ばれる様になった。
何度も交通止めになり、多くの人達が不便を被っている状況を見るに忍びないとの思いから、鳥取市の行徳青年会が毎日15人出勤して無料の渡船を10日間行った。この間に約40,000人が利用し、鳥取警察署でもこの青年会に感謝状を贈呈し、こうした心温まる話もあった。
こうした状況の中、市民の皆が望んでいた鋼鉄製の架設工事は、昭和6年11月に着手するに至った。工事は幸いにも晴天が続いたのと、現場監督員及び請負人の努力により、予定期日通りに竣工を遂げた。
この千代橋の構造は、桁にプレートガーターを使用して橋長も358.29mと長く、当時の県内の道路橋としては日野橋に次ぐ長さであった。また、竣工当初の親柱は石造りで高さが4mもあり、橋銘板の「千代橋」の文字は当時の県知事の筆であった。その他、工夫されていたのが赤御影石を使用した高欄部分で、鳥取市のシンボルマークである角輪模様の鉄格子をはめ込んでいた。
時代の流れと共にこの鋼鉄製の千代橋も老朽化が進み、また幅員も狭く慢性的に交通渋滞が発生した為、平成15年に取り壊された。現在は新しい千代橋がその役割を受け継ぎ、交通量は2倍に増加したにもかかわらず渋滞長は約1月2日~1月7日に減少している。