K-5 祇園橋 日野町根雨
橋梁:鉄筋コンクリート造・T型3連続桁橋
昭和8年(親柱銘)
祇園(ぎおん)橋は、スサノオノミコトを祭り「祇園さん」の愛称で親しまれている根雨神社の参道で、板井原川に架かる橋梁である。古来よりこの橋は、鎌倉時代の武士である長谷部信連公(はせべしんれんこう)が京風文化を模して造ったと伝承されている。
施工は米子市の業者が請負い、昭和7年11月4日に起工し使用人員は延べ5,338人と工費14,800円を費やして、橋長36.6m幅員5.5mの鉄筋コンクリート造・T型3連続桁橋が完成した。竣工式は昭和8年4月29日に行われ、町内では花火を打ち上げ各戸に町旗を打ち立て、店頭も競って装飾した。また、わざわざこの日の為に米子市より臨時のカフェまで出来た。
現在のコンクリート橋の前は木橋であったが、年々この木橋は腐朽し両高欄とも落ちてしまい、人馬の往来が絶え、また、人命にすら障害を及ぼす腐朽祇園橋と言われていた。
こうした状況により、町長をはじめ町民の熱心な架橋運動が起こり、昭和7年11月架設工事に着手することとなった。この橋が架かる板井原川は、根雨名物の鯉が多く生息し、細心の注意をはらい工事を行ったものと思われる。
祇園橋の設計に当たって最も苦心したのが、根雨神社前にふさわしくなければならず、また、絃歌さんざめく祇園情緒を壊さず設計するところにあったとされる。こうした中、京都府の五条大橋を模して設計し、情緒溢れる橋にあって「堅牢に!」という合言葉の下に、設計・工事を進めていった。
構造は上部工に特徴があり、京風の祇園情緒漂う造りになっている。両岸四隅の親柱には花崗岩の石燈籠をたて、高欄部分には擬宝珠を取り付けており、周辺の整備された石積みの護岸と、近くの根雨神社とが良く調和している。
祇園橋は現在でも建設当初の姿をほぼ残しているが、現在は明かりはついてないが、竣工当時は石燈籠に照明が取り付けてあり、夜になるとほんのり灯りをつけていたということである。