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J-1 千代川橋梁 鳥取市古市
橋梁:鋼鉄製・22連・プレートガーター橋
明治41年

千代川橋梁は、鳥取市中心部の西を流れる千代川に架かり、現在では山陰線としての役割を終了し、鳥取駅とJR貨物湖山基地との列車の往来として利用されている。

施工は古川久吉氏が請負い、明治36年6月10日に着工し工費30,200円を費やして、橋長375.23mの鋼鉄製・22連・プレートガーター橋が完成し、明治41年4月5日に山陰線として利用し始めた。山陰線全線開通は明治45年3月1日で、開通式は同年6月1日に久松山の二の丸跡にて行い大変な賑わいであった。

山陰線の工事は、境港を起点として明治33年5月に始まった。鳥取駅の位置については、明治34年に鳥取市議会が当時の担当大臣宛に、鳥取市東品治町に選定していただきたいという内容で意見書を提出し、望み通り現在の位置に鳥取駅が建設されることとなった。こうして、境港を起点とした工事が進み、明治40年4月28日に仮の鳥取駅(現在の古海の位置)迄開通した。

ほぼ同時期に、千代川橋梁の工事も進められて、一旦は明治37年8月に橋台と橋脚は完成していたが、石積で出来た橋脚に亀裂が地盤迄生じているのが認められた。その結果、同年10月より石積の取り外し工事に着手したが、天候に恵まれず、なかなか工事は進まなかった。しかしながら、昼夜を問わず工事を推し進め期限内に竣工した。

こうして現在の位置である鳥取駅とそれより西方面を結ぶ山陰線が、明治41年4月5日に開通した。

構造は橋脚に緑色のプレートガーターを載せ、橋長は375.23mと県内最大且つ最古である。竣工当初橋脚は、石と煉化石(レンガ)とコンクリートで造られ、表面を煉化石で覆っていた。しかし、千代川改修に伴い昭和6年頃に橋脚を約66cm高くして、その時に現在の様なコンクリートで覆った姿になったと思われるが、所々にコンクリートで覆って無い箇所があり、煉化石が見え当時の姿を覗かせている。

現在では、この橋の上流側に山陰線のトラス橋が架かり、下流側からしか望めない。しかし、当時は蒸気を吐きながら走る機関車と千代川橋梁の姿が、千代川に映し出され美しかったという。

 
昭和46年、平成17年の千代川橋梁の写真

平成17年の千代川橋梁の写真
  

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