K-4 三朝橋 三朝町三朝
橋梁:鉄筋コンクリート造・木橋型連続桁橋
昭和9年5月
三朝橋は、ラジウム温泉で有名な三朝温泉街の中心に位置し、登録有形文化財に平成17年度選ばれた三徳川に架かる橋梁である。この登録有形文化財は、築50年以上経過した貴重な建造物を対象として後世に広く継承する為に、文化財保護法に基づき文部科学大臣が文化財登録簿に登録する制度である。
施工は倉吉市の小倉組が請負い、昭和8年8月22日に着工し工費40,000円を費やして、橋長68.6m幅員5.5mの鉄筋コンクリート造・木橋型連続桁橋が完成した。竣工式は昭和9年5月26日に行われ、式には県知事をはじめ県の各関係者、地元町長、地元小学校生徒等が参列した。
現在のコンクリート橋の前は、木橋で大岩橋と称され明治18年に架設されたが、大正7年の大水害により流失してしまい、その後、約10年もの間仮橋のままであった。三朝町は国有林が広がっており、当時から木炭用材等の搬出に当たっては、この木橋は1つの関門をなしていた。この林業開発に伴う重量物運輸と、年々増大する交通量に対して、この橋は水害等の度に、交通運輸が絶たれる有様であり非常に不便であった。また、東洋一のラジウム温泉と広く知られるに従い、年々来訪客は増加する状況に、腐朽した木橋の架け替えは必然的であった。
こうした状況により、町長をはじめ地元の熱心な架橋運動が起こり、昭和8年8月架設工事に着手することとなった。しかし工事は、稀有の降雪と水害に遭遇し予定より2ヶ月竣工が遅れた。
三朝橋の架設に当たって最も苦心したのが、コンクリート橋としてしかも観光地にふさわしく、尚且つ、三朝温泉情緒を表現することにあった。この設計を担当したのが、当時、日本の建築・建設の権威者であった京都帝国大学の武田伍一氏であった。こうして昭和9年5月に完成し、翌年にはこの三朝橋を通る温泉街に新道路も建設され、現在の様な三朝温泉街になったのは昭和30年以後のことである。
構造は鉄筋コンクリート造であるが、その外観は純日本様式の木橋を取り入れている。上部工の親柱、擬宝珠高欄、春日燈籠、床板といずれも木橋を意識した外観となっている。特に高欄部分は、若桜産の青御影石を使用し国内では事例が少なく貴重である。また、下部工も細部に至る迄外観を意識し、三朝温泉街とよく調和している。親柱にある「三朝橋」の文字は、南苑寺を創建した臨済宗相国寺派管長の橋本独山師の筆であり、この橋銘板は、倉吉市の斉江鋳造場の製作である。
この橋と街は、地元町民の人々の自主的な清掃等によって、現在でも当初のままの姿を残している。また、橋体と両岸に設置された照明は、夜間になると橋全体をライトアップし、来訪する者に昼間とは違う温泉街の情緒を与えてくれる。