K-6 河原橋 鳥取市河原町徳吉
橋梁:鉄筋コンクリート造・12連・ゲルバーT型桁橋
昭和8年(親柱銘)
河原橋は、鮎の名所で有名な鳥取市河原町に位置し、千代川に架かる橋梁である。
施工は大阪府の奥村組が請負い、昭和8年8月3日に着工し工費83,600円を費やして、橋長195.6m幅員6.0mの鉄筋コンクリート造・12連・ゲルバーT型桁橋が完成した。竣工式は昭和9年6月1日に行われ、式には県知事をはじめ県の各関係者、地元町長、地元小学校生徒等が参列した。この日、小学生1,000名は手に国旗を持ち、「若葉にかほる初夏の空」の歌を歌いながら橋上を行進した。また、同日は鮎の解禁日でもあり大変な賑わいであった。
この地は町名も河原町と呼ばれるように、古来より洪水に悩まされ続けてきた。江戸時代この周辺の橋は、簡易な設計の丸太を2つ割りにしたものを架けていた為に、洪水時は度々流失した。こうしたこともあり、両岸に大縄を張りそれを手操り、渡し舟で両岸を行き来していた様だ。
その後、大正時代の木橋の河原橋でも洪水時になると「河原橋危険、通行禁止」と、新聞でその度に報じて通行禁止となり、来訪者や地元住民は足止めをくらい不便をしていた。そして、年々と腐朽して交通上危険となり、「難所河原橋」と呼ばれる様になった。
こうした状況と、鳥取よりこの河原橋を渡り、山陽及び京阪神地方をつなぐ志戸坂トンネルの開通も間近に控えていたこともあり、昭和8年8月に架設工事に着手することとなった。しかしながら、工事は10月の大洪水に遭遇し、また、数10年来の大雪とその雪解け水とに見舞われ多大の打撃を被った。こうしたことにも拘らず、僅か10ヶ月で竣工に至ったのは、現場監督者及び請負人の努力によるものであった。
こうして現在のコンクリート橋となり流失の心配はなくなった。
この橋の特徴は、緩やかな曲線を連ねるグレー色の桁が伸びやかな印象を与え、橋脚と桁との支承部がアクセントになっている。また、背後に控える河原城と良く調和している。
河原橋は現在でも当初のままの姿をほぼ残しているが、現在迄に東西両端部の拡幅に伴い親柱は撤去され、高欄は強固なものに替えた。また、下流側に独立歩道橋が昭和47年に架設された。現在は、国道53号の河原バイパスの完成に伴い主要交通はそちらに移った。
この周辺では毎年7月に、「あゆ祭」や「いかだ下り」のイベントが行われている。