J-3 陸上鉄橋 岩美町陸上
橋梁:鋼鉄製・6連・プレートガーター(桁)橋
明治44年
陸上鉄橋は、鳥取県の海岸線の最東端、兵庫県との県境部付近の岩美町陸上に位置する。
鳥取県を東西に縦断する山陰本線、その開設は明治末期にさかのぼる。
「山陰の鉄道史」によると、そのうち鳥取~香住間(32K440m)は、明治40年8月に第17工区から第24工区の計8工区に分けて着工され、明治45年3月に開通した。この区間の開通をもって、京都~出雲間が一本の線路でつながった。
陸上鉄橋は、岩美駅~県境部の第19工区(路線延長6K27m)にあたり、佐藤組(佐藤工業の前身)の施工によって、明治44年に完成したとされている。
構造は、全長137.5m、支間長22.3mの鋼鉄製プレートガーター形式で、煉瓦造りの橋脚5本が支えている。
5本の橋脚のうち3本は四角柱であるのに対し、2本(東から2,3本目)だけが円柱である。これら円柱橋脚は、橋下を流れる陸上川の提内に建てられており、その流れを妨げないために敢えて円柱脚を採用した設計者の心遣いなのだろう。現在でこそ河川流路内の橋脚は円形または楕円形状にするのは常識だが、当時そのような規準・指針等があったとは想像しにくい。
基礎部にはコンクリート補強がなされ、頂部は鉄骨のテラスが王冠のように組まれている。その高さは、20mはあるであろうか。
さらに近づいて眺めると、橋脚表面にイギリス積み煉瓦の構造がはっきりと確認できる。
また橋脚のいずれもが、基礎部へいくほど拡がりをもつフレアスカートのような形状をなしている。これは強度・安定性を考慮したものだろう。このことや、先の河川堤内の円柱橋脚など、安全性確保のためには労をいとわない「明治の技術者」の熱い心意気が感じられる。
景観的にも優れており、1世紀前の建造物でありながら、古めかしさより、むしろ欧州調のエキゾチックさの方が強く感じられる。これが両脇を囲む山々のみどり、直下を流れる陸上川の清流とあいまって、美しく、すがすがしい空間を創造している。